コロナ禍で苦しむ外食産業。ファミリーレストラン「ロイヤルホスト」や天丼チェーン「てんや」などを展開するロイヤルホールディングスも苦境に立たされている。日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)出身で、破綻当時に頭取秘書として修羅場を経験した菊地唯夫・会長(55)は、この状況をどう乗り切ろうとしているのか。
──平成元年(1989年)当時は何をされていましたか。
菊地:私は1988年に日本債券信用銀行に入行しました。当時、日債銀は採用人数が少ない割に留学生をたくさん派遣していました。同期が少なければ若い時から留学を含め、様々な経験を積めるチャンスがあるのではないかという期待が大きかったですね。
入社後は名古屋支店に配属となり、預金や融資を担当しました。当時はバブル経済が華やかな頃でしたが、東京や大阪に比べて名古屋はそれほど浮かれてはいませんでした。トヨタ自動車さんをはじめ製造業が集まる土地柄ですので、堅実だったのかもしれません。
──その後、希望が叶って1991年から2年間フランスに留学されます。
菊地:1993年に帰国した時の衝撃は大きかったですね。日本はバブルが崩壊し、大変な世の中になっていました。
国際営業企画部や総合企画部で仕事をした後、1997年に当時の東郷重興頭取の秘書となりました。翌1998年に日債銀は経営破綻しますが、頭取の苦悩や会社が終焉する過程を目の当たりにしたことは、その後の人生で大きな糧になりました。
──その後、ドイツ証券会社を経て2004年にロイヤル(現・ロイヤルホールディングス)に執行役員総合企画部長として入社する。なぜ金融の世界から外食に?
菊地:行く行くは実業に携わりたいと思っていました。日債銀時代の上司が、ロイヤルのアドバイザー的な仕事をしていたことも大きかったですね。
当時のロイヤルはカリスマ創業者と言われた江頭匡一(2005年死去)が一線を離れ、トップダウン型からボトムアップ型経営に移行する過渡期でした。近代的な組織にしていくために、私もチームに入ってほしいと誘われました。
企画部では「天丼てんや」のテンコーポレーション、全日空の機内食事業「福岡ケータリングサービス」、英国風パブ「ハブ」などのM&Aを手掛けました。