最期の瞬間をどう迎えるか。コロナ禍となり、大切な人の最期を看取ることが難しくなり、その意識が大きく変わりつつある。「自分らしく逝くこと」にこだわった人から学ぶ、コロナ時代の新作法もあるかもしれない。
盛大な葬儀やお別れ会を避けることも、新たな作法となりつつある。在宅医療にかかわる長尾クリニック院長の長尾和宏医師はこう語る。
「葬儀を知らせると、『呼ばれたからには行かないと』という気持ちになります。ですが、東京や大阪といった新型コロナの感染が蔓延している地域で行おうとすると、地方に住んでいる人は参列に葛藤が生じる。
そうした混乱を避ける賢明な方法は、家族葬をすることです。コロナ禍の家族葬なら『なぜ呼ばなかったのか』と知人らが疑問を抱く可能性も少ない。実際に私が最近看取ったかたがたも、生前の交友関係や社会的地位などにかかわらず、ほぼ全員が家族葬を選びました」
今年4月に急性リンパ腫で逝去した脚本家の橋田壽賀子さん(享年95)は、「葬式や偲ぶ会はせず、死んだことを誰にも知らせないでほしい」と終活ノートに記していたという。橋田さんが83才のときから12年間パーソナルトレーナーを務めた八代直也さんが語る。
「橋田先生からは、『私が死んだらあなたに取材が来るだろうから、そのときに伝えることをまとめておきなさい』と言われていました。
先生は『生まれたときもひとり、死ぬときもひとり』が口癖で、『告別式やお別れの会を開くと、義理で来る人もいるかもしれない。それは嫌。悲しいと思ってくれる人は心の中で見送ってくれればいい』とも仰っていた。その一方で自分が死んだ後に周りが困らないように遺言書を書き、それを定期的に見直していました」
死の準備を重ねた橋田さんが最期を迎えたのは、静岡県熱海市にある自宅だった。
「ママ! ママ!」
傍らで寄り添う泉ピン子(73才)がそう声をかけると、橋田さんは少しだけ目を開き、それからゆっくり旅立ったという。
生涯にわたる「盟友」であるテレビプロデューサーの石井ふく子さん(94才)が振り返る。
「橋田先生が終活の話をするたびに、私は『そんな話やめて』と怒ったものです。そんななかで最後に橋田先生は、『どうしても自宅に戻りたい』と熱海の病院から自宅に帰り、一晩過ごしてから亡くなりました。本人の強い希望でしたし、周りは自宅に戻った時点で覚悟を決めていました」
自宅に戻ったからこそ、実の娘のように慕った泉らが見守るなか、天寿をまっとうできたのだ。
コロナ禍において橋田さんのようなケースは、一般家庭でも増えている。昨年11月、脳梗塞で富山県内の病院に入院していた男性(89才)が、兵庫県尼崎市に住む娘(63才)の自宅に引き取られた。コロナ禍で病院での見舞いができなくなり、娘が「最期は一緒に過ごしたい」と願ったのだ。