長崎や神戸、最近では池袋や西川口が中華街またはチャイナタウンと呼ばれるが、日本で最大規模の中華街は横浜だということに異論はないだろう。この横浜中華街が所在する山下町一帯は、もとは開港にともなって造成された外国人居留地だった。
清朝を打倒するべく広州での武装蜂起を企てたものの失敗に終わり、1895(明治28)年に日本に亡命した孫文も、一時はこの地で華僑にかくまわれながら革命活動を続けていた。そして、華僑の援助のもと興中会横浜支部を組織した。その当時は中国人貿易商などが暮らしていた街であり、中華料理店が増えたのは1900(明治33)年以降のことである。
中華街と呼ばれるようになったのは1955(昭和30)年に中華街大通りの入り口に「中華街」と記された牌楼(善隣門)が建設されてからのことである。その門を中華街側から見ると、銘板には「親仁善隣」の文字が記されている。現在は10基の牌楼が建ち、約500メートル四方のエリア内に500店以上もの店舗がひしめいている。
最古の中華街の写真には、1874年頃の山下居留地165番地付近が写されている。右手は現在の朝陽門(中華街東門)を入った同じ場所の山下町165番地付近。中央の建物の左手が中華街大通り、右手が開港道になる。
撮影/内海裕之
※7月4日まで横浜ユーラシア文化館で企画展『横浜中華街160年の軌跡~この街が、ふるさとだから。』が開催中。
※週刊ポスト2021年6月11日号