コロナ禍の角界で不祥事が相次いでいる。大関・朝乃山は緊急宣言事態中のキャバクラ通いを週刊文春に報じられ、出場停止などの厳罰に処される見通しだ。本人の自覚の欠如は言うまでもないが、騒動の背景には「相撲部屋」を巡る環境の変化があったとも指摘されている。
朝乃山が所属する高砂部屋では、昨年11月に先代親方(元大関・朝潮)が65歳定年を迎え、元関脇・朝赤龍が「高砂」を襲名した。ただ、元・朝赤龍夫妻は部屋で弟子たちと同居しておらず、近くのマンションから“通い”の状態が続いていた。「部屋の土地・建物は先代である元・朝潮の持ち物のままで、同じ建物で一緒に住んでいるのも先代。こういう“間借り”のスタイルは増えているが、どうしても現在の親方の指導・監督やおかみさんの目配り、気配りが行き届かなくなる」(協会関係者)とされる。
かつて相撲部屋では、親方とおかみさんは父母のように弟子に寄り添い、生活全般にまで目を光らせていたものだ。そうやって力士は公私ともに育てられた。その好例が、角界で一大勢力を築き上げた元大関・貴ノ花の仕切る「藤島部屋」だった。現役引退後、実兄である元横綱・初代若乃花の二子山部屋で部屋付き親方となった元・貴ノ花は、1982年に分家独立。藤島部屋を興した。後に横綱となる実子の三代目若乃花、貴乃花や大関となる貴ノ浪、関脇となる安芸乃島、貴闘力らを育て上げ、1991年5月場所では藤島部屋勢で三賞を独占するなど、一時代を築いた。1993年に初代若乃花が相撲協会を定年退職すると二子山部屋と合併し、関取11人を含む力士47人を抱えるに至った。
おかみさんとして藤島部屋を支えた藤田紀子さん(当時は花田憲子さん)は、当時をこう振り返る。
「『藤島』の年寄名跡は、出羽ノ海一門の親方(元前頭・出羽湊)から“貴ノ花が部屋を興すなら”ということで譲っていただいた由緒ある名跡でした。ですから、親方と一緒に“立派な看板に負けないようにたくさん関取を育てよう”と必死でした。稽古は親方が厳しく指導していましたから、それ以外の部分はすべて私の責任と考えていた。
おかみさんとしての仕事は、まさに“24時間勤務”でしたね。夜中に音が聞こえて、階段を駆け下りていくなんてことは、しょっちゅうでした。うちの親方は初代若乃花の弟ということで、兄弟子たちから砂を食べさせられたり、一升瓶を無理やり口にくわえさせられたりと、壮絶なイジメを受けた経験がありました。自分たちの部屋ではそういうことが絶対あってはいけないと考えていた」