昭和の時代には、今では信じられないような“熱い戦いの記録”がある。V9時代の巨人の強さはONを中心とする圧倒的な打撃力。それを支えたのが、王貞治の一本足打法を完成させたことでも知られる『荒川道場』だった。
ONの後ろを打ち、「史上最強の5番打者」と称された末次利光(当時・民夫)氏は、荒川博打撃コーチの指導の厳しさと、V9戦士の情熱は尋常ではなかったと語る。
「一軍と二軍を行ったり来たりで、このままではレギュラーになれないと、1年目のシーズン終盤に荒川さんの家の近くに引っ越し志願入門した。
そりゃすごかったですよ。試合に行く前にも、試合から帰ってきた後にもやる。真冬には外で、しかも上半身裸で素振りする。霜とともに、男たちの汗が体の熱で湯気になって立ち上る光景は半端じゃなかった。大晦日、元旦も休みませんでした」
荒川道場ではバットだけでなく、真剣を振った。
「部屋に短冊を吊るし、真剣を構えて振り下ろすんです。集中していればカミソリで切ったようにスパッと切れる。日本刀は『切っ先三寸』と言って、先の部分しか切れない。バットのヘッドと同じなんです。僕は2回に1回切れるかどうかでしたが、王さんは短冊を8枚ぐらい重ねても切っていた。王さんが真剣を振る時は、みんな正座して見ていました。それぐらい迫力があった」(同前)
鬼気迫る練習は、遠征先でも欠かさず行なわれたという。V9巨人のショートを守った黒江透修氏がその様子を振り返る。
「遠征先の旅館で、ワンちゃん(王貞治)はブリーフ1枚になって1本足打法に磨きをかけていた。足を上げ、静止し、バットを振る。荒川さんからダメ出しをされると、ワンちゃんが自分に怒ってバットを畳の上に叩き付ける。僕は正座して見ていましたが、怖くて仕方がなかった。すごい緊張感で、殺気漲るとはまさにあのことだと思う。
しばらくするとワンちゃんが冷静さを取り戻し、荒川さんに『お願いします』と言って再びバットを振り始める。ワンちゃんがそこまでやるんだから、ボクたち雑魚もやらないわけにはいかない。雑魚というのはカネさん(金田正一)に言われた言葉ですけど(笑い)」
“世界の王”がブリーフ姿だったのにも理由がある。荒川氏は2016年12月に86歳で亡くなったが、その直前、本誌のインタビューにこう答えていた。
「(裸だと)筋肉の使い方がわかる。バットを振った時に余計な力が入っていると、すぐに肩や腕の筋肉に表われるからね」