もし、「見えない」「話せない」重度障害の娘が生まれたら──アメリカ在住の倉本美香さん(51才)の長女・千璃(せり)さん(18才)は「無眼球症」と呼ばれる障害を抱えており、生まれたときから眼球がなかった。
千璃さんが初めて手術を受けたのは生後10か月のこと。埋め込んだ器具は幾度となく目の中から飛び出し、たった2週間で再手術となることもあり、以降、千璃さんは義眼治療だけで約30回もの手術を受けた。
希望を込めて行っていた義眼手術だが、後々、思いがけない形で美香さんを苦しめる原因となる。日本で1冊目の著書が出版されると、「視覚のない子供に義眼を無理に入れる治療を受けさせるのは親のエゴ」と、大バッシングを受けた。「目も鼻もない18才の娘」は何を教えてくれたこととは──。
第三者に助けを求めたことで千璃の可能性が広がった
異国での手術と仕事に追われながら、美香さんは千璃さんを含む4人の子供を育てた。
「いちばん下の子が生まれてすぐは、まだ誰もひとりで歩けなかったはずなのですが、4人の子を連れてどのように外出していたのかまったく思い出せないんです。そんなときでも、メモ程度ではありますが、ずっと千璃との日々は書き残していました。おかげで、こうして振り返ることができます」
現在、倉本家には、高校1年生の長男、中学3年生の次男、中学2年生の次女の3人が美香さん夫婦と一緒に暮らしている。
千璃さんは、10才から寮がある学校へ通い始めた。「家族が面倒を見ず、障害者を施設へ送り込んだ」と思われはしないか、本当にそうしていいのだろうかと、決断してなお迷いもあったが、歩行、食事、排せつといった基本的なことすべてに介助が必要な千璃さんには、親がいなくなっても生きていける力を身につける必要があった。
ニューヨーク州の北部にあるスペシャルスクールは、広大な敷地の中に、学校と寮、病院、成人向けの職業訓練センター、農園や酪農場などが点在しており、肢体や発達に障害を持った人たちが一緒に過ごしている。生徒の数は約270人で、そのうち、自宅が遠方で通学が困難な生徒たち約150人が寮生活を送っている。
千璃さんの通う教室の生徒は6人。4人の教師に手厚く見守られている。授業は午前9時から午後2時半までで、生きていくために欠かせない「食べる」という行為を自分ひとりでできるようにすることを目標にしているのも、この学校の特徴だ。
「それまでは、異国の地で親にすら心配をかけられないと、自分たち夫婦だけで抱え込んでいました。空に向かって『助けて』と言ったことは何度もあるけれど、いざ人に会うと何も言えない。不器用で、甘えることができなかったんです。私は“自分にはできない”とも言えなかった」