体当たり企画などを得意とする『女性セブン』の名物アラ還ライター“オバ記者”こと野原広子(64才)が、世の中で話題になっているトピックにゆる~く意見を投げかける。今回は、“紀州のドン・ファン騒動”から自身の“姓”について思いをはせたお話です。
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「これじゃ、どこの家の葬式かわかんねぇよなぁ」──“ドン・ファン騒動”を見るにつけ、3年前に亡くなった継父の葬儀での末弟の発言をふと思い出す。
都会の葬式は年々簡素になっていくけれど、わが茨城県はまだまだ花輪の数がモノをいう。祭壇の中央には「兄弟一同」「従兄弟一同」といった花輪があって、その周りに故人や家族の仕事関係から寄せられた生花や果物かごが並んで彩りを添える。でも、継父のときはちょっと違った。継父の姓は「ヤマザキ」なのに、祭壇にはヤマザキ姓の花輪が1つもなかったの。
そもそも「ヤマザキ」は私の実父の姓で、父は昭和34年に亡くなっている。母は嫁いだ先で夫に死なれたわけだけど、幼い私と弟がいたこともあって実家に戻るに戻れず、そのまま居座った。その後、「イケダ」さんと再婚した後も、ヤマザキ姓を通した。
やがて母と継父の間に男児(末弟)が生まれ、継父は「イケダにすっぺよ」と母に改姓を強く求めたけど、母はうなずかなかった。当時、私と年子の弟は小学校高学年。姓を変えると私たちが学校で面倒なことになる、というのが改姓を拒んだ理由だったという。
……かくいう私も「ノハラ」を名乗っている。24才から4年間、結婚して得た姓で、人にワケを聞かれれば、「ゴロがよかったから」と答えてきた。母にしても私にしても、姓を“家の象徴”としてというより、便宜でしか考えないところがあったのね。
そういえば、実家の仏壇にはいろんな姓の位牌があった。私を育てた祖母・オシマ婆さんの亡夫「フクトミ」という位牌、フクトミさんとの間の子で、独身のまま東京で亡くなった伯父「トキ」さんの位牌…。まさにちゃんとした家ではない証だけど、こういうルーズさを私はいいなと思っているんだよね。
振り返れば、28才で離婚したとき、「本籍地も戸籍も新たにしていいんです」と区役所の人は言ったけれど、離婚して足元がふらついているときに、縁もゆかりもない場所に置く気にはならない。それで嫁ぎ先の住所を本籍地に決めて、姓も変えないまま、今日に至っている。