中森明菜が『禁区』、松田聖子が『瞳はダイアモンド』でヒットを飛ばしていた1983年11月、学習研究社から雑誌『Momoco』の創刊号が発売された。キャッチフレーズは「ファンキーGAL満載! 男の原寸大MAGAZINE」。『GORO』『スコラ』といった絶好調の青年誌とアイドル誌の中間を狙っていた。制作中に、偶然にもデビューを控えていた菊池桃子の売り込みが重なり、表紙に起用。25万部は瞬く間に完売した。
同誌は、売れっ子アイドルを特集する『明星』『平凡』と異なり、原石を発掘した。巻頭は16ページのアイドルグラビア「Momoco写真館」。続くインタビューページではこれから売り出すアイドル11人を取り上げ、際どい質問を飛ばした。デビューを控えたタレントには「1億円あげるから脱げっていわれたら、脱ぐ?」と聞き、「1億円じゃ見せません」「10億円ぐらい?」「1兆円ぐらいなら(笑)」と荒唐無稽な会話を交わしている。
全国各地の素人ギャルを紹介する「MOMOCO CLUB」では、毎号数十人を掲載。彼女たちに文通を申し込める「交際応募券」もついていた。この人気コーナーは「ミス・モモコグランプリ大会」に発展し、第1回は西村知美(桃組出席番号922番)、第2回は畠田理恵(同1404番)が栄冠に輝いた。
1984年には日本テレビ系『TV海賊チャンネル』の1コーナーとなり、1986年にはTBS系で『モモコクラブ』として独立した。読者の初体験投稿コーナー「童貞物語」も目玉の1つで、同名のまま映画化され、古村比呂や本田理沙などがヒロインを務めた。
最盛期60万部を売り上げて革命を起こしていったが、同じく素人をスターにした「おニャン子クラブ」の登場もあり、芸能界はアイドル飽和状態に。1989年頃から“アイドル冬の時代”が訪れる。部数が10万部台に低迷し、バブル崩壊で広告費がピーク時の5分の1に減り、1994年1月号限りで休刊した。それでも、“素人の時代”の扉を開いてメディアミックスに挑んだ『Momoco』が果たした役割は今も色褪せない。
取材・文/岡野誠
※週刊ポスト2021年6月18・25日号