天皇ご一家を陰ながら見守ってきた人がひとり、旅立った。新型コロナの影響で大規模な葬儀やお別れ会などが行われなくなりつつあるいま、黒田清子さん、慶樹さんご夫妻もまた、会葬したくてもできないもどかしさを抱え、無念の涙を流されていた──。
「ご焼香はやはり無理だったようでした。お見舞いはおろか、最期のお別れもできなかったのです。黒田夫妻の悲しみ、無念さは計り知れません」(皇室ジャーナリスト)
東京・目黒のとある斎場の周りは、新緑の木々で鮮やかに彩られていた。時折日差しが差し込む曇り空の下、喪服を着た人はちらほらとしか目に留まらない。6月6日と7日にここで静かに営まれた通夜・告別式に、黒田清子さん(52才、紀宮さま)夫妻の姿はなかった。
清子さんの夫・黒田慶樹さん(56才)のいとこ、直志さんが6月5日、亡くなった。
「膵臓がんです。あまりにも突然のお別れとなりました。直志さんは、少し前まで献身的に母親の介護をしていて、彼女を看取ったばかりでしたが、その矢先の出来事でした。天皇皇后両陛下も、秋篠宮さまご夫妻も、言葉を失われ、悲しみに打ちひしがれています」(皇室ジャーナリスト)
天皇ご一家が涙につつまれるのも無理はない。慶樹さんと黒田家の当主でもあった直志さんは、“いとこ以上の関係”だったからだ。
「年齢は15才ほど離れています。学習院大学在学中に父親を亡くした慶樹さんにとって、直志さんはなんでも話せる父親のような存在だったのです。ですから、慶樹さんは夫婦で葬儀に出席したいと希望していたそうですが、コロナ禍のいま、参列ができたのは直系の家族のみでした」(前出・皇室ジャーナリスト)
慶樹さんが清子さんと結婚したのは2005年のこと。清子さんは、この結婚を機に民間の人となった。
「眞子さまにご結婚の話が出て以降、慶樹さんが小室圭さんと比べられることも多くなりました。どちらも母子家庭で育ち、もともとは銀行に勤務していたという共通点も世間の関心を呼びました」(宮内庁関係者)
結婚当時、慶樹さんは都庁の職員だった。いまもその仕事を続けており、今年5月には統括課長に昇進している。その慶樹さんの父・慶次郎さんはトヨタに勤務していたが、1986年にがんのため56才の若さで亡くなった。