日本を代表する演歌歌手のひとり、小林幸子。そんな彼女も1979年に『おもいで酒』がヒットするまで、歌手としての人生は必ずしも順調とはいえなかった。苦労した時代を支えたのは師匠・古賀政男の言葉である。小林が明かした。
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9歳の時に、古賀政男先生が審査委員長をしている『歌まね読本』(TBS)というのど自慢番組に父親が勝手に応募して、グランドチャンピオンになりました。
収録後に先生から「この子を僕のもとで歌手としてデビューさせてみる気はありませんか」と言われ、子供の頃に歌手を夢見ていた父親は天にも昇る気持ちだったんでしょうね。「はっ、はい!」と即答し、母親の反対にも耳を貸さず、私はひとり上京して古賀先生の事務所にお世話になることになりました。
先生は優しいおじいちゃまのような存在で、私のことを「チビ、チビ」と呼んで可愛がってくださいました。でもひとたび外に出るとその存在の大きさがわかります。
「チビがデビューするから着物やドレスが欲しい」と言って日本橋の行きつけのデパートに入ると、支配人をはじめお店の方がずらっと並んで迎えていました。その時に頂いた着物は今も大切にしています。
忘れられないのは、初めてのレッスンの後にいただいた言葉ですね。
「チビ、歌では人はお腹いっぱいにならない。でも人の心を温かくすることはできる。そういう歌手に、いつかなりなさい」
目の前で飢えて苦しむ人を見てきたという先生のお話を聞き、お金も食べる物も大事だけど、苦しい時に励ましになることができれば、歌い手の存在が価値あるものになるのだと得心しました。
〈小林は10歳の時に古賀作曲の『ウソツキ鴎』でデビューし、大ヒット。しかしその後はバラエティ番組やドラマなどで活躍するも、本業ではなかなかヒット曲に恵まれなかった〉
デビューから数年後、先生とこんなやり取りをしました。先生に「人は悲しくなると、どうなる」と尋ねられ、私が「泣いちゃいます」と答える。さらに先生に「涙が涸れたらどうなる」と聞かれ、私が「わかりません」と言うと、先生はこうおっしゃいました。
「そこにしゃがむんだよ。そしてしゃがんだ後、人は立ち上がるんだよ」