優勝32回、6連覇2回など数々の金字塔を打ち立てた昭和の大横綱・大鵬は、1971年の引退後に一代年寄の資格が贈られ、大鵬部屋を創設した。部屋にいた力士の中で現在角界に残っている教え子が元十両・大竜の大嶽親方だ。今も大嶽部屋には「大鵬道場」の看板が掲げられている。大嶽親方が振り返る。
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大鵬親方に弟子入りしたのは、今から約45年前。中学を出たばかりの15歳の時です。親方の持論は、
「学歴がなくても、相撲社会では大学生以上のことを学べる」
相撲の稽古はもちろんですが、「力士は稽古だけしてればいいってもんじゃないんだよ」と、一般社会でも通じるように、相撲以外の生活についても厳しく指導されました。
親方の相撲の基本は「真摯な気持ちで稽古に励み、相撲道を究める」こと。しかし、それ以前に人間として成長することに重きを置いていました。
〈大竜は幕下時代が長く続き、なかなか十両に上がれなかったが、入門11年目の1987年9月場所でチャンスが訪れる。幕下4枚目で勝ち越せば昇進確実だったが、3勝4敗で惜しくも負け越し。その千秋楽のパーティーで“事件”が起きた〉
ヤケになって飲みすぎた私に後援者が「お前は稽古をしないから負けた」と言ってきた。だけど十両を目の前にして稽古をしない力士なんていないし、私も血ヘドを吐くぐらい必死でやっていた。ついカチンときて「お前は稽古見たことがあるのか」と食ってかかったんです。
後援者を何よりも大切にする大鵬親方がすっ飛んできて、「誰に向かって言ってるんだ」とボコボコに殴られました。私は親方に向かって「こんな部屋、辞めてやる!」と大騒ぎになった。
翌朝、先輩に背中を押され、辞める覚悟で親方のところに行きました。当然、怒鳴られるものだと思っていたら、親方は「お前の努力は俺が一番知っている。悔しいだろう。辞めないで頑張れ。(十両に)上がって見返してやれ」と言ってくれたんです。
この言葉に「親方の期待に応えるためにも」と気持ちを新たにし、さらに稽古に精進して、3場所後、十両に昇進することができました。