昭和の「カリスマ」の弟子を自負する者たちにとって、師の箴言は決して色褪せない。俳優・宇梶剛士は菅原文太さんの言葉に今も支えられているという。宇梶が菅原さんの思い出を振り返る。
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初めてオヤジ(菅原文太)と出会ったのは、19歳になる直前。歌手のにしきのあきら(現・錦野旦)さんの事務所で付き人をしていて、お使いで台本を取りに行った時のことでした。
応接スペースでオヤジが鶴田浩二さん、東映プロデューサーの俊藤浩滋さんと打ち合わせをしていたので、台本だけ受け取って引き上げようとすると、背中からオヤジが「お前さんは何者だ?」と声かけてきたんです。
「俳優志望ですが、どうすればなれるのかわからないので、(にしきのさんのところで)お手伝いさせてもらっています」
そう答えると、オヤジがその場でにしきのさんの事務所に電話をかけ、「おたくのところの若い大きい奴、もらっていいか? ああ、そう、はい」と言って電話を切った。
「ということで、いいか?」と聞かれ、オヤジの付き人になりました。
〈宇梶は高校中退後、暴走族の総長として鳴らした。だが、少年院で改心し、定時制高校に通いながら俳優への道を模索していた〉
ワルだったことは、自分からは言いませんでしたよ。俳優の道に進もうと決めてからは、パンチパーマに特攻服ではなく、七三分けのサラサラヘアにし、服装にも気をつかっていました。
それでも噂が耳に入ったんでしょうね。ある時、「お前、グレてたのか?」と聞かれた。「ハイ」と正直に答えると、オヤジはこう言ったんです。
「この世界は、自分にどんな理由があっても、暴力を振るえば退場だ。暴力は悪だ」と。いちおう「ハイ」とは答えましたが、内心、“オヤジも大人みたいなことを言うんだなぁ”と思いました。僕はまだ若くて、大人に対する不信感や怒りが解けていない時期でしたから。でも、オヤジが続けて口にした言葉が、僕の胸に刺さりました。
「だがな、どうしても飲めない、許せないと思うことがあったら暴れたらいい。そして、去れ」