ノルウェーの探検家ロアール・アムンゼンが率いる探検隊が、南極点に初めて到達したのが1911年12月14日。そして日本の鉄道が新橋-横浜間に開通したのは明治5(1872)年で、もうすぐ始まりから150年になろうとしている。南極と鉄道、まったく関わりがなさそうなこの二つの歴史が、極地で研究をすすめるためには欠かせない部分で交わっている。ライターの小川裕夫氏が、南極基地でも生きる日本の鉄道技術についてレポートする。
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人類が南極点に初めて到達したのは、1911年。日本人初の南極上陸も同年に達成。今年は110周年という節目にあたる。
日本人で初めて南極に上陸した白瀬矗(しらせ・のぶ)は南極点に到達できなかったが、帰国後に国民から大喝采を浴びた。その後、長い空白期間を経た1955年、政府の閣議決定によって日本は再び南極へ挑戦することになる。翌1956年、第一次南極観測隊が日本を出発。それからの日本は一時的な中断を挟むものの、断続的に南極観測隊を送り続けてきた。
どこの国にも属さない南極では、その過酷な環境下で各国が科学・学術研究を進める。南極への挑戦を決めたものの、手探り状態でプロジェクトを進めなければならなかった当初の日本も、科学者・技術者が力を結集。技術・知識を応用して南極生活を少しでも快適に過ごせるように工夫を凝らした。そして、南極観測の長い歴史の中で、鉄道で培われた技術も多用されている。
「新幹線式の循環トイレは、観測船『ふじ』が就航した1966年の第7次隊から1999年まで使われていました」と教えてくれたのは、国立極地研究所の広報室担当者だ。
日本が南極大陸に築いた最初の基地「昭和基地」のトイレは、汲み取り式になっていた。第7次隊から観測船「ふじ」が就航。それまでの観測船「宗谷」と比べると「ふじ」は積載量が増加しただけではなく、大型の荷物を分解せずに輸送することが可能になった。
それまで昭和基地のトイレは離れのように独立した形で棟外に設置されていたが、大型の発電機を持ち込めるようになったことでトイレは棟内に設置された。
トイレが棟内に移設されるとともに、新たなトイレは南極の環境保全と隊員たちの衛生に配慮した新幹線式の循環トイレへと切り替えられた。これが南極史上初の水洗トイレとされている。
新幹線トイレは空気の気圧差を利用して汚物をタンクまで運ぶ真空吸引式を採用している。一般的な水洗トイレと比べて、新幹線式のトイレは水の使用量が少ない。南極生活では、なによりも水は貴重な資源。一滴たりとも無駄にはできない。
1983年の第24次隊が130キロリットルの貯水槽を設置するまで、南極での生活は厳しい水のやりくりがなされていた。そうした事情も、水を無駄に使わない新幹線式トイレの導入を後押しした。