漫画界の巨匠、手塚治虫。そのアシスタントを3年間務め、その後『ダメおやじ』『ぐうたらママ』などで一躍人気漫画家となった古谷三敏(84)が、“師匠”である手塚から受け取った箴言を振り返る。
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高田馬場に漫画の通信教育のようなものがあり、漫画を送ると出版社の人が見に来るシステムになっていた。ある時、16ページくらいの漫画を描いて送ると、手塚先生のマネージャーの方から「アシスタントを募集している」という葉書をいただいたんです。
手塚先生はまさに雲の上の人。嬉しくなって、翌朝8時に先生の自宅を訪れてピンポンを鳴らすと、寝間着姿で出てきた先生にこう言われました。
「漫画家は朝遅いんだから、こんなに早く来ちゃダメだよ。もう少し寝るから、応接間でテレビを観てなさい」
他にも数人に葉書を送っていたようですが、僕が一番乗りだったので、即採用になりました。長くいるとアシスタントに慣れすぎて独り立ちできないという理由で、期間は3年間と決まっていました。
背景すら描かせてもらえませんでしたが、先生が仕事をしているその後ろのちゃぶ台でベタを塗りながら、「今、俺は手塚治虫のところにいるんだよなぁ」と。それだけでドキドキしていました。
先生にはいっぱい怒られましたよ。宝塚に帰省中の先生から電話がかかってきては「ここを描いたのは誰? 指定したのと違うじゃないか」と細かくチェックされる。怒られるのが嫌だから、みんな電話に出ようとしなかった(笑い)。
連載漫画が8本あり、月刊誌の締め切りが終わる毎月25日の後に少し余裕ができました。そうすると先生はお休みとお小遣いをくれて、
「漫画家にとって映画は一番の勉強になる。必ず1本は映画を観ろよ」
と僕らを送り出し、休み明けに観た映画の感想文を書くという約束がありました。