コロナの混乱のなか開幕が迫る東京五輪。知名度の高いプロ選手たちばかりに注目が集まるが、そもそもオリンピックは有名アスリートのためだけのものではない。出場予定選手の中には、「アスリート」とは別の顔を持ちながら、練習を続けてきた人がいる。本業として母校の中京高校で教員を務め、ボクシング部の指導をしながら五輪を目指してきた男子ボクシングの田中亮明選手は、「二足のわらじ」アスリートのひとりだ。
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6月の猛暑日、岐阜県の中京高校ボクシング部のジムに、その男の姿はあった。
東京五輪のボクシング男子フライ級代表の田中亮明(27)は、母校である同校の通信制課程で教員を務め、ボクシング部の顧問として高校生と共に汗を流してきた。学校がテスト期間中のこの日は、ムンムンとするジム内でトレーナーの父が持つミットに鋭く小気味よいパンチを打ち込んでいた。
「2018年まで教壇に立っていましたが、翌年から通信制課程に異動し、デスクワークが中心となった。平日は朝8時45分から16時まで勤務し、そのあと指導です。無駄な時間を作らず、練習は効率的にやっています。母校のリングで生徒とマススパーをすることもあるし、弟の(所属する畑中)ジムで弟とスパーリングをすることもあります」
2歳下の弟は、プロボクシングで3階級制覇を達成した田中恒成である。昨年末、井岡一翔の持つWBOスーパーフライ級王座に挑戦し、敗れはしたものの、日本を代表するボクサーのひとりだ。そして、もうひとり、田中を語る上で欠かせないのが同い年の井上尚弥の存在だろう。今では世界の“モンスター”として君臨するWBA&IBFバンタム級統一王者とは、井上が高校時代に4度対戦し、そのすべてで敗れた。
プロのリングに飛び込み、きら星のような輝きをみせるふたりと違う道を田中は歩み、駒澤大学に進学して五輪の夢を追ってきた。
「プロに興味がなかったんですよね……」
そう田中は囁いた。そして続けた。
「自分がなりたかったのはオリンピック選手だった。(オリンピックの魅力とは)……特にないかな。『オリンピックに出る』と口に出したからには、その目標を叶えたい。それだけですよ。ボクシングを始めて、高校日本一になるためにこの学校に入学して、次は大学に入ってアマチュア日本一を目指した。それを達成すると、オリンピックに出たいと思うようになった」
2016年のリオ五輪は、世界最終予選であと1勝したら切符を手にできるところまでたどり着いた。が、あと一歩、届かなかった。
「それが悔しくて。そこからは意地になってボクシングを続けて来た。そりゃあ、オリンピックに出て金メダルを獲るよりもプロのリングで世界チャンピオンになったほうがお金は稼げる。でも、それがプロになる理由にはならなかった。プロに一度でも気持ちが傾いていたなら、間違いなくなっていたでしょうから」