【著者インタビュー】日高トモキチ氏/『レオノーラの卵 日高トモキチ小説集』/光文社/2090円
漫画家でもあるせいか、日高トモキチ氏(55)の初小説集『レオノーラの卵』は、ありもしない世界をあるかのように現出させる、文章の画力にまずは驚かされる。
「以前、筒井康隆さんが、自分は状況の説明がヘタで、絵の方が早いと思ってしまうと何かに書かれてましたけど、私の場合は逆というか、自分では絵にできないものを、小説に書いている。目に見える分、受け手を縛りかねない絵と違って、文章の世界は自由でいいなあと、常々思っているので」
どこか幻想的でいながら、今と何かが重なる全7編は、それぞれ物語としての精度も高く、全く飽きさせない。作中、〈小説は事実より奇なり、じゃよ〉〈なに当たり前のこと言ってるんですか〉という会話があるが、こんな当たり前なら大歓迎だ。
挿画家や写真家など様々な顔を持ち、駄洒落の端々に昭和が香る年頃ながら、これが初単独小説集という、貴方は一体、何者ですか?
「音楽でも何でも一通り手は出すけど、結局飽きっぽくて何も続かない、器用貧乏な男です(笑い)。その中で唯一続いたのが絵と文章ですが、私は何事も人から頼まれないとやらない類の怠け者で、独りでコツコツ小説を書いたりはできない性分なんですね。そんな私になぜか30年前、絵ではなく小説を書かないかと頼んでくれた方がいて、その某SF同人誌に載った実質的初小説を後々読んでくれた1人に、作家の宮内悠介さんがいたんです」
そう。宮内氏は高校生時代に日高氏がかつて麻雀雑誌に連載していた漫画『PARADISE LOST』の愛読者だった。その縁から、目下注目の鬼才自らが編んだ『博奕のアンソロジー』(2019年)に請われて筆を執ったのが、表題作「レオノーラの卵」なのだ。
「宮内氏からのお題は博奕全般でした。麻雀が書ければよかったんですが、小説をほぼ30年ぶりに書く私にいきなり『麻雀放浪記』が書けるわけもない。そこで博奕→賭け→子供が男か女かを賭ける話と、遡って展開してみたんですが、レオノーラも母親の〈エレンディラ〉もなぜ卵を生むのかとか、私もわからないことだらけです(笑い)」
物語はこう始まる。
〈レオノーラの生んだ卵が男か女か賭けないか、と言い出したのは工場長の甥だった〉
ちなみにレオノーラとは彼の叔父がかつて工場長を務めた、〈黄色コッペパンを焼く工場〉で働く娘のこと。その叔父が25年前に失踪し、現在は叔母が工場長だが、工場長の甥にとって自分は今もって叔母ではなく叔父の甥だった。〈ものの名前は単なる固有名詞ではなく、その属性を示すべきであるというのが日頃の彼の主張であり、またこの街の不文律でもあった〉