江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重の作品『東都三十六景 下谷広小路』(1862〈文久2〉年)には、春の雨が描かれている。上野広小路交差点から上野公園へと走る中央通りの一帯が、江戸時代に「下谷広小路」と呼ばれた場所。もともとは寛永寺への参詣道だった。絵には、雨として描写される線は少なく、パラパラとした優しい雨のようだ。その浮世絵に描かれた名所をゆく、歴史探訪東京さんぽへ出かけよう。
その前に、浮世絵の雨の描写について。古代から続く絵画の長い歴史において「雨」が描写されるようになったのは、実はつい最近のことだ。日本美術史の研究家で、浮世絵について多数の著作を発表している岡田美術館館長の小林忠氏はこう語る。
「浮世絵は、そもそも庶民が育てたアートです。雨を描く技法を編み出したのは鈴木春信という絵師ですが、彼は一般庶民の暮らしぶりを生々しく描くことを追求し、その結果に生まれたのが、雨の描写でした」
二代広重の絵に戻ろう。奥には、現在の上野公園がある場所が描かれ、当時も花見の名所となっていたようだ。花見帰りと思しき女性たちが、傘をすぼめながら歩いている様子から、強い風が吹いていたことをうかがい知れる。
「女性たちの着物の裾が乱れて、白い足をのぞかせています。これだけで当時の人々はうっとりとしたのではないでしょうか。とても艶っぽく、面白い1枚といえます」(小林氏)
上野広小路の近くには、江戸の歴史が詰まっている。下谷神社の境内に立つ「寄席発祥之地」の石碑があり、1798(寛政10)年にこの地で三笑亭可楽が興行を行なったのが寄席のはじまりといわれている。1625(寛永2)年に建立された、天台宗の別格大本山の寛永寺は、徳川家康の側近だった天海が、幕府の安泰を祈願して創建した。
※週刊ポスト2021年7月2日号