「貯金20!」──セパ交流戦終了翌日(6月14日)の在阪スポーツ紙は、阪神タイガースの絶好調ぶりを大々的に報じた。セ・リーグでは、60試合以下の時点で「貯金20」に到達したケースが過去15回あり、そのうち13度は優勝しているとして、「V確率87%」という見出しも躍った。
しかし、である。20以上の貯金がありながら、優勝を逃したケースのひとつが、虎党にとって忌まわしい記憶として残る「2008年の悪夢」なのだ。
当時は岡田彰布監督の就任5年目。FAで広島から移籍してきた新井貴浩らの活躍で開幕ダッシュに成功。6月には貯金20に達し、7月9日には2位に13ゲーム差をつけて独走状態となった。しかし、夏を迎えて主力が北京五輪のために離脱したあたりから失速。一方、巨人が9月に12連勝するなど猛追し、逆転優勝を許した。巨人ファンには“メークレジェンド”として記憶されるシーズンであり、岡田監督は辞任に追い込まれた。
6月に貯金20、そして夏に五輪を迎えるというなか、今季は優勝できるのか。その問いを、岡田元監督その人にぶつけた。
「いろんなところでそれを聞かれるけど、13ゲーム差をひっくり返されたオレに聞くか?」
そう苦笑いしながら、岡田氏は2008年シーズンを振り返る。
「あの年は北京五輪で主力3人(藤川球児、矢野燿大、新井貴浩)が抜けて、今年と違ってオリンピック中もシーズンが中断されずに続いた。守護神の藤川と正捕手の矢野が抜けたのは痛かったし、新井も新戦力やったからなぁ。もちろんシーズン前からわかっていたことやから言い訳にはしたくないけど、五輪で計算が狂ったのは間違いない」
結果的に最も大きな誤算となったのは、3番を任されていた新井だった。五輪前から腰痛を発症し、7月には数試合を欠場。
「五輪があるから少し休ませたんや。それでも心配やから球団の専属トレーナーを北京に同行させた。北京で新井が4番ファーストで全試合にフル出場していたから、“帰ってきて出られなくなったらファンに笑われるで。それだけは気をつけてくれよ”とトレーナーには指示していた。それなのに、帰ってきたら腰椎の疲労骨折で戦線離脱や。コーチ会議で思わず“トレーナーはクビや!”と叫んでしまったよ」
北京五輪日本代表を率いたのは、阪神監督の“前任者”である星野仙一氏だった。岡田氏に何か釈明はあったのか。
「ないない。そんなもんないがな。北京五輪の後は会ってもいないどころか、電話もしてない。まぁ、トレーナーも星野さんには何も言えなかったんやろうけど」
※週刊ポスト2021年7月9日号