『週刊ポスト』(6月28日発売号)では、人気企画「昭和のカリスマ」シリーズで、愛弟子たちが受けた師匠の「訓示」を特集している。そこで先代・三遊亭圓楽の薫陶を語った六代目・三遊亭円楽は、師匠から「メディアの取材には原稿になるように話しなさい」と教えられたと明かした。その通り、インタビューでは原稿になるエピソードが目白押しだったが、本誌では誌面の都合で一部しか紹介できなかった。NEWSポストセブン読者に、記事にできなかった秘蔵エピソードをお届けする。
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私が円楽を襲名すると決まった時に、師匠はようやく「おめぇも、ちったあ“らしく”なったな」と言ってくれたんだけど、その前まではひどいんだから(笑)。師匠が司会で戻った頃の『笑点』で、大喜利でたいしてウケないと、「楽太郎はダメ、また来週!」とか言うんだよ。公開処刑! こんなの続けられないから辞めようと思ったもん。
そうしたらプロデューサーが、「師匠、板に乗ったら(舞台に上がったら)互角なんだから、ああいう言い方はやめてください。楽太郎という呼び方もキツすぎるから、楽さんと呼んでみてください」と言ってくれたんです。師匠は「そんなの言えるか」と最初は拒否したんだけど、プロデューサーが説得してくれて「楽さん」と呼ぶようになったの。まあ、なんとか番組を盛り上げようとしたんだろうけどね(笑)。
それからしばらくして、私の名前も世間に通るようになってきた頃に、笑点の控室で「お前は明智光秀だね。いつか私を裏切るよ」なんて言うんだよ。私も少しは物を言えるようになっていたから、「待ってくださいよ。私が明智光秀なら師匠は信長ですか?」と返すと、「そうだな」と言う。だから、「それを言うなら私は秀吉です。それこそ草履を温めるところから始めてるんですから」と抗議したら、師匠はしばらく黙ってから、「ウチからは家康は出ねえのか……」と言うの。つまり、弟子のなかから天下取る者は出ないということなんだけど、思わず心の中で「座布団1枚!」と叫んだよ(笑)。