リーマン・ショックによる派遣切りで大量の失業者が出現し、その結果、うまれた大勢の生活困窮者のための避難所「年越し派遣村」が話題になったのは2008年から2009年の年末年始のことだった。これ以後、見過ごされがちだった非正規労働者にも労働者としての権利があり、守られるべき人権があるという共通認識が広まったはずだった。ところが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって経済が不安定になったことで、雇用どころか貧困と社会不安の調整弁に非正規労働者がなっている現実がある。ライターの森鷹久氏が、コロナ禍によって厳しい現実に直面させられ、追い出し部屋に配置転換された派遣社員の本音と諦め、怖れについて聞いた。
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コロナ禍では様々な分野で「分断」が進んだと言われている。世代間の断絶、人種間トラブル、貧富の差の拡大など、繋がっているはずの同じ社会にあるいくつもの溝が深くなり、それらが社会問題となりつつあるニュースを見ない日はない。日本では、「派遣」という働き方の人々たちが直面させられている彼我の差が、もっとも身近で、かつ深刻な分断の一つなのではないだろうか。
「派遣なのは自分で選んだからだ、と言われますが、そんなことはないと言い続けるのも疲れました。コロナ禍になって真っ先に出勤を減らされ、私より少し上の世代は完全に派遣切りされて職場を去りました。他の会社でも派遣切りが相次いでいるのに、ほとんど報道されませんし、救済もない。コロナ禍前であればもう少し問題視されたはず」
神奈川県内の機械製造工場に勤務する派遣社員・緒方一平さん(仮名・40代)は、コロナ禍前から「派遣で働く」ということ自体に疑問を持っていた。それなのに緒方さんが派遣社員に甘んじているのは、新卒時の就職がうまくいかなかったことに起因している。就職氷河期ど真ん中と言われる世代より、若干年齢は下だが、都内の中堅私大卒業を控え、待っていたのは選択の余地なし、の就職活動だった。
「仕事が全くないわけではありませんが、長く勤務できそうな会社があまりない、と感じました。新卒で飲食店チェーンに入社しましたが、10年勤めても給与はほとんど上がりませんでした。昇進をして役職などがついても、人数が多すぎる上の世代のために新たなポストが続々作られ、私たちの待遇はヒラ同然のまま。努力しても報われないことに嫌気がさして辞めたんです」(緒方さん)
新卒で入った会社を辞めて30代前半で転職活動を始めたものの、特別な資格を持っているわけでもないため、またしても働き口を見つけるのに苦労した。なんとか不動産系の営業マンに就職できたが、その会社は高齢者を狙った詐欺同然の販売方法を展開しており、耐えきれなくなって半年で辞めた。
「選ばなければ仕事がある、というのは過去の話。今は就職できても変な会社、いわゆるブラックしかない。そうじゃないところを選ぶとなると、結局派遣に行き着く」(緒方さん)