シンガーソングライターの山下達郎(68歳)が、日本映画について熱く語る――。7月4日放送の『日曜邦画劇場』(日本映画専門チャンネル)に出演して、自身が影響を受けた名作についてトークを展開するのだが、山下は写真と音声のみでの出演なのだ。山下が語る内容とは? そしてアーティストの“テレビNG”“顔出しNG”などはどう変わっていったのか? コラムニストのペリー荻野さんが解説する。
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山下達郎久々のテレビ出演!ということで注目の7月4日放送の『日曜邦画劇場』(日本映画専門チャンネル)。しかし、その内容にはびっくり。山下達郎は、写真と音声のみの出演なのである。テレビなのに!?
出演のきっかけは、この日、放送開始20周年&放送1000回を迎えるこの番組が、その記念としての戦前の名作『人情紙風船』(1937年)を4Kデジタル修復版で放送すること。かねてよりこの作品を「人生の一本」として、何十回も見たという山下が、本編終了後に番組の劇場支配人である軽部真一と映画の魅力などを語ることになったのである。
そのトークの内容にもびっくり。そもそもこの映画は、歌舞伎の「髪結い新三」をもとに、髪結いの男と浪人、二人の男を軸に、貧乏長屋で首つりがあったことから始まる庶民のたくましさ、弱さなど、さまざまな人間と人情を描いた時代劇。
新三を演じたのは、前期のドラマ『イチケイのカラス』に出演していた中村梅雀の祖父・中村翫右衛門。28歳の若さで戦地で病没し、夭折の天才といわれる山中貞雄監督の遺作だ。池袋生まれで映画好きの両親の影響によりたくさんの映画を観たという山下は、自ら古書店で探した当時の映画雑誌『キネマ旬報』を持参、脇役の俳優の名前を調べるなど、凝り性ぶりを発揮した。この映画をきっかけに戦前の名作を追いかけ、そこから生まれたオリジナル曲もあるという。音声だけなので、当然のことながら気分はラジオですが。
思えば、山下の人気が出た頃、浜田省吾、大瀧詠一などラジオには出るが、テレビに出ないアーティストはたくさんいた。松山千春が、1978年に初めて『ザ・ベストテン』に出たときは大騒ぎだった。その後、バラエティにも出るようになった松山はじめ、時折テレビに出る大物も増えたが、平成の後期には音楽番組の数も減り、ネット環境が整ってみれば、アーティストをテレビで見たいという渇望感が薄れてきた気もする。
しかし、テレビだけでなく、さまざまな映像があふれる今、顔出しNGのアーティストがたくさんいることは、なかなか興味深い。去年、GReeeeNが「紅白歌合戦」に出るというので、いったいどうなるのかと思ったが、結局、素顔は出さないまま。テレビ離れといわれる若い世代の心をつかむヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに。Ado、yamaも顔を見せない。謎だらけ。それでも楽曲の人気はすさまじい。