税の使いみちを通して、「弱者を生まない社会をつくる」「社会を語ろう、社会を変えよう、身近を革命しよう」と無骨なまでに私たちに迫る学者がいる。慶應義塾大学経済学部教授の井手英策さんだ。彼の提言のベースにあるのは消費税だ。だからずっと批判にさらされてきた。それでも主張を曲げず発言を続ける彼の本意はどこにあるのだろう? 衆議院選挙を控え、最新刊『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った? ベーシックサービスという革命』を執筆した動機と合わせて井手氏が寄稿した。
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複数政党が関心を寄せる「ベーシックサービス」が生まれた背景
30年近く昔のことだ。大学の授業料の「免除申請」がダメだった。電話で話せなかった僕は、帰省のタイミングを見はからって、母にその事実を告げた。強気でならしてきた母だったが、途方に暮れたような表情を見せた。目は涙でうるんでいた。
僕は母子家庭に生まれた。同居の叔母が暮らしを支えてくれていたが、“不幸にも”僕は優秀だった。わが子の進学を考えた母は、スナックを始め、借金まみれになって、僕を大学院にまで行かせてくれた。
免除の可否は年収で決まる。でも、無収入では、借金はムリだ。母は経費を差し引かず、収入をそのまま申告した。それが仇となり、授業料となって跳ね返ってきた。あまりにもむごい仕打ちだと思った。
最近、公明党や立憲民主党、国民民主党などが関心を寄せているアイデアに「ベーシックサービス」というものがある。提案者は僕だ。でも、心の奥底にべったり張りついていた以上の原体験なくしては、この発案はなかっただろう。
ベーシックサービスとは何だろう。生きていくと、誰もが必要とする/しうるサービスがある。誰だって病院に行くし、教育がなければ読み書きすらきびしい。僕は、医療、介護、教育、障がい者福祉をベーシックサービスと名づけ、所得制限なしで、これを全国民に給付することを提言した。
所得格差をほめる人はいない。だけど、何倍までの格差なら許されるかは、容易に説明できない。一方、貧しいだけで、生活に必要なサービスを使えないことの不条理さを、僕は痛感していた。だから、「格差是正」ではなく、サービスへの「アクセス保障」を提案したのだった。