師の教えは脈々と弟子に受け継がれていく。時を経て真意がより深く理解できるからこそである。格闘家・前田日明氏が、アントニオ猪木からかけられた言葉を振り返る。
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もともと空手をやっていて、新日本プロレス営業本部長だった新間寿さんにスカウトされ、「米国でモハメド・アリの弟子にしてやる」と口説かれた。米国で生活したいという夢もあったので入門を決めました。自分がプロレスラーになるなんて考えてもいなかった。
〈1977年に新日本プロレスに入った前田は、当時人気実力ともに絶頂だった猪木の付き人になる。1984年に新日本プロレスを離脱し、新団体UWFへの移籍を発表。異種格闘技戦でも無類の強さを発揮し「新格闘王」と称された〉
佐山聡さん(初代タイガーマスク)が付き人をしていたんですが、『格闘技大戦争』というキックの試合への出場が決まり、その練習に専念しなければならないということで、右も左もわからないまま、入門間もない自分が付き人になりました。1日の仕事を口頭で教えてもらっただけで、何をすればいいのかもわからない。細かい失敗はいっぱいしましたが、猪木さんはまったく怒らなかった。怒鳴られた記憶もありません。
入門して2か月目に猪木さんとスパーリングする機会があって、「何でもやってこい」と言われた。『空手バカ一代』の中で“プロレスラーには目突きと金的攻撃だ”と描かれていたので、その調子でかかっていったら、先輩レスラーにこっぴどく怒られました(笑い)。
それからプロレスラーとしての修行を積み、1年ほどしてデビュー。試合後、新間さんに「アリの話はどうなりました?」と尋ねたら、「なんの話だ?」と完全に忘れられていた(苦笑)。
猪木さんは試合や練習態度については厳しかったですね。プロレス八百長論なんかが言われていた時代で、猪木さんと新日本プロレスが矢面に立って戦っていた。だから猪木さんは、
「新日本プロレスは技と力をぶつけ合う競技になっていく。お前たちは実力をつけなくちゃダメだ」
「外国人レスラーが舐めたことをしてきたら、構わないからキメてしまえ」
とよく言っていました。