「丙午に生まれた女は気が強く、男を食い殺す」──日本には古くからそんな言い伝えがある。丙午は合計60種類ある干支の1つで、順番は43番目にあたる。60年に1度だけめぐってくる干支であり、前回は1966年(昭和41年)だった。もともとは中国で生まれた「丙午の年には天災が多い」という伝承が、日本に伝わるうちに形を変えて、江戸時代に「丙午生まれの女は男を食い殺す」という迷信が生まれたとされる。
「国立社会保障・人口問題研究所」によると、1966年の出生数は日本全国で約136万人。1965年の約182万人、1967年の約194万人と比べて突出して低い。1966年の出生率は前年より4.9%減少し、翌年は5.7%増加したとのデータもあり、厚労省などは大幅な減少について、「迷信の影響」と公に認めている。
そんな1966年に生まれた女性芸能人は、小泉今日子(55才)、斉藤由貴(54才)、広瀬香美(55才)、三田寛子(55才)、江角マキコ(54才)、国生さゆり(54才)、鈴木保奈美(54才)など。そして、秋篠宮妃紀子さま(54才)も丙午生まれでいらっしゃり、さらには長女の眞子さま(29才)の婚約内定者である小室圭さん(29才)の母親、小室佳代さん(54才)も丙午生まれだ。3年以上にわたって世間の関心の中心にある眞子さまと小室さんの同級生カップルの母親同士もまた、同級生なのだ。
紀子さまが歩まれてきた道は、一見、佳代さんとはまったく対照的だ。学習院大学教授の長女としてお生まれになり、テレビのない3LDKの教職員用住宅でお育ちになった紀子さまは、学習院大学在学中の1985年4月に秋篠宮さまと出会われ、ひそかに愛を育まれ、1989年9月に婚約内定者となられた。
昭和天皇の喪中に、しかも兄の天皇陛下(当時の皇太子さま)よりも先に、弟の秋篠宮さまが婚約を発表されるのは、皇室にとって異例中の異例の出来事だと、当時は大きく取り上げられた。
しかし婚約内定者として、水玉のワンピース姿でマスコミの前に登場された「3LDKのプリンセス」の清楚で可憐なお姿は国民の心を射止め、空前の「紀子さまフィーバー」が巻き起こった。
「紀子さまは自ら“プリンセスになりたい”と強い希望を持っていたと報じられました。ご結婚翌年の1991年に眞子さま、1994年に佳子さま(26才)が誕生されました。さらに紀子さまは40才を目前に控えた2006年、皇族にとって41年ぶりとなる男子・悠仁さま(14才)を出産された。紀子さまは特に“将来の天皇”である悠仁さまに対しては、熱心に教育されています」(皇室記者)
一方の佳代さんは、決して裕福とはいえない家庭に生まれ、神奈川県内で育った。短大卒業から3年後に、横浜市役所に勤務する男性と結婚し、1991年に小室さんを出産。しかし、2002年に夫は自死。小室さんが小学4年生のときのことだ。
「母子家庭になってからは、佳代さんが働くケーキ店の給料と、夫の遺族年金、そして金銭トラブルの当事者である元婚約者Aさんや、元彫金師Bさんなどさまざまな男性を頼って暮らしています。