【著者インタビュー】工藤玲音氏/『水中で口笛』/左右社/1870円
【本の内容】
あとがきに工藤さんはこう記している。《わたしが十代で短歌に出会ったことは、たくさんの素晴らしい人々との出会いそのものでした。わたしの人生はこの出会いによってあかるく、奇妙におもしろく、すがすがしいものへとひらかれました》。ここに収められたのは316首。16歳で短歌に出会ってから社会人として働くいままでに詠んだ中から厳選したもの。工藤さんの喜怒哀楽、心の浮き沈みを鮮やかに映したうたに、読み手の10代、20代の頃が重なり、忘れていた記憶が呼び起こされる。
工藤さんは岩手県盛岡市渋民出身。かつての渋民村、石川啄木が暮らし、歌に詠んだことで知られる土地である。工藤さんの第一歌集『水中で口笛』のあとがきには、《啄木が死ぬまでに出したいです》と担当編集者に連絡したエピソードが出てくる。
「歌をつくるときに啄木を意識していたというより、歌をつくるようになる前の小学校、中学校のときから、啄木はすごく身近な存在でした。小学校の真ん中に歌碑があって、啄木給食というのが出ることもありました。『偉人』というより、『学校の先生』『お兄さん』みたいな感じでしたね」
自分よりずっと年上に感じていた啄木だが、彼が亡くなった26歳という年齢を自身も目の前にしてはじめて、まだまだやりたいことがたくさんあっただろうな、と、彼の若さを実感したという。
長電話で歌碑まで歩く「泣けとごとく」に溜まる雨小指で拭う
短歌をつくり始めたのは高校の文芸部に入ってから。いままでにつくった700首あまりから選んだ316首を歌集に収めた。
「歌稿はまとめておけ、ってこれまでいろんな人から言われてたんですけど、全然できてなくて。昔の雑誌とか、メールの文章、歌会の提出稿、新人賞に応募した歌稿だとか、10年分をまずかき集めたんですけど、思った以上にいろんな場所で短歌を続けてきたんだな、と感じました。
詠み口が変わる時期というのがあって、すごく突飛なものに大胆にたとえる時期があったり、結構、暗い、恨み節みたいな時期があったり(笑い)。失恋した、交際が始まった、祖母が亡くなった。そのときどきに自分の身に起きたことを、隠さず素直に詠んでいます」