コロナ禍による重苦しい空気が漂う今では想像もできないほど、世の中が浮かれていた1980年代後半のバブル経済期。夜の街は大勢の男女で賑わい、一万円札をヒラヒラさせてタクシーを止める時代。車で女性を送り迎えする「アッシーくん」、食事をおごる「メッシーくん」が登場し、女性は高学歴・高収入・高身長の「3高」の男性を追い求めた。世代的にバブルを享受した財前直見(55才)はこう語っている。
「当時はブランド品をプレゼントしてくれて、高級車でドライブに、果ては海外旅行に連れて行ってくれるお金持ちがよくモテました。とにかくみんなステータスを見ていたかな(笑い)」(財前)
やがてバブル景気はピークを越えて、時代は徐々に下り坂に入っていく。1989年1月には、闘病生活を続けられていた昭和天皇が崩御され、日本中が沈痛な雰囲気に覆われた。
「昭和天皇の崩御は、私の人生のなかでも印象に残っている大きな出来事です」と振り返るのは漫画家の西炯子さん(54才)だ。
「私の祖父宅は、居間に天皇ご一家の写真が飾ってあって、祝日に日章旗を立てていました。田舎はそういう家が多かったと思います。
毎年お正月に新しい写真に取り換えるので、天皇ご一家も毎年、年を取られていくんです。例えば、紀宮さま(黒田清子さん)は中学校にご入学されるくらい大きくなられたんだなあ、とか。そのせいか、天皇ご一家にはとても親近感がありました。
昭和天皇は、『日本』という大きな共同体の父親という印象でしたね。だから、崩じられたときには悲しかったですし、ひとつの時代が終わってしまったという喪失感がありました」(西さん)
時代が昭和から平成にうつって8か月が経過した1989年9月、日本全土を揺るがす大きなニュースがあった。秋篠宮さまと紀子さまの婚約内定である。
紀子さまは、「丙午」(ひのえうま)である1966年生まれだ。当時はまだ丙午の迷信も根強く、1966年の出生数は少なかった。1966年の日本全国の出生数はで約136万人で、1965年の約182万人、1967年の約194万人と比べて、かなり少ないことがわかる。
男女雇用機会均等法の施行後、紀子さまは大学を卒業される。バブル経済と丙午の影響による出生数の少なさもあいまって“売り手市場”であったが、学習院大学大学院に進学して、そのまま25才の若さでご結婚された紀子さま。その選択は、同じ年に生まれた丙午の女性には、実は意外なものだったといえる。翻訳家として活躍する池田真紀子さん(54才)はこう言う。
「私は証券会社に総合職で入社したのですが、性に合わず1年で辞めて、コンサル会社に再就職して27才で結婚しました。私の友人は4大卒の女性が多いのですが、いちばん早い結婚でした。周りを見ても、当時大卒女性の結婚はもう少し後になることが多かったと思います」(池田さん)