JR甲府駅から身延線で45分ほど揺られた鰍沢口駅。車で5分ほど走った一角に、「富士川町スポーツミュージアム」はある。この地に生まれ、後に東京で洋服商「日照堂」を営んだ望月靖之さん(2003年没)──。彼がデザインした赤のブレザーに白のパンツという1964年東京五輪開会式での公式服装が飾られている。
望月さんの娘である大西章子さんは、57年前の10月10日、国立競技場のメインスタンドで行進を眺めていた。
「8000羽の真っ白なハトが真っ青な空に飛び出し、上空でブルーインパルスが五輪マークを描いた。ダイナミックな演出に、家族を顧みず仕事に没頭した父も喜び、家族も父が夢中になった理由が分かりました」(大西さん)
しかし、ほんの数年前までその公式服装は、アパレルブランド「VAN」の創業者・石津謙介氏のデザインというのが定説だった。服飾史家・安城寿子氏の丹念な取材によって望月さんのデザインであることが証明された。
「父は1956年のメルボルン大会から公式服装を手がけ、1964年大会で念願だった赤白のスーツを仕立てました。父の名前が表に出なかったのは当然かもしれません。一介の洋服商より、世界的なデザイナーだった石津さんのお名前のほうが注目を集めるに決まっています」(同前)
11人兄姉の貧しい家に育った望月さんは東京の神田で日照堂を開き、近隣の大学生に制服や文房具などを販売して事業を拡大した。
「いつしか父も五輪に魅了されていた。ただ、石津デザインが定説となったことは悔しかったはず。でも、何も言わなかった。その理由は口にしなかったし、今も不思議です。自分だけの手柄にしたくなかった? いや、父はそんな人じゃありません。何か事情があったのかもしれません」(同前)
取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2021年7月30日・8月6日号