7月6日のヤクルト対阪神(神宮球場)で勃発した「サイン盗み」問題。プロ野球史を紐解けば、サイン盗みが問題になったことは何度もあった。
1967~1969年の3年間、阪急対巨人の日本シリーズが続いたが、阪急の本拠地・西宮球場のネット裏にあるモニター用のカメラやスタンドのビデオカメラを当時の巨人・牧野茂コーチが「スパイ用では」と疑い続けた。
それ以降も、各球場に設置されたテレビカメラや防犯カメラが、ホームチームの情報収集に使われているのではとたびたび指摘されることがあった。
特に球界に大きな波紋を投げかけたのが、1998年に起こった福岡ダイエーホークスの“スパイ疑惑”だ。
ダイエーの3選手が個人的に学生アルバイトを雇い、サイン盗みの伝達役をさせたという疑惑が持ち上がった。
当時の報道によれば、外野の大型スクリーン用に設置されたカメラが捉えた捕手の出すサインを、球場内の資料室でモニターした球団職員が球種を読み解き、バックスクリーン横に座る学生に無線機で連絡。学生はメガホンの持ち方で打席の3選手に球種を合図していたのだという。
球団側は否定したものの、パ・リーグの特別調査委員会は「疑惑を完全には払拭できない」として、ダイエー球団社長らに職務停止の制裁を下した。
サイン盗みの多くは疑惑のまま終わっているが、球界のご意見番・江本孟紀氏は、かつてプロ野球では確かに“巧妙な手口が使われていた”と明かす。
「サイン盗みにはっきりとした禁止ルールがなかった時代の話ですが、私の現役時代、南海のスタッフはバックスクリーンに潜んで双眼鏡でサインを覗いて解析し、電話でベンチに伝えていました。そしてベンチから、真っ直ぐなら“よく見て! よく見て!”、カーブなら“さあ行け! さあ行け!”と声をかけるんです。
南海の三塁コーチだったブレイザーは、試合中に投手のクセを盗み、球種を打者に伝える合図として指笛を鳴らしていましたね」