札幌開催となった東京五輪の陸上・マラソンは、男女6人の日本人ランナーがアシックス社製の「サンライズレッド」のウエアを着て走る。円谷幸吉氏が走った1964年の東京大会、そして瀬古利彦氏が走った1984年のロサンゼルス大会はともに、白地に襷をイメージさせるデザインが入ったランニングウエアだった。
「当時、日の丸カラーを配色したユニフォームは好きでしたね。襷のデザインは今回も採用されています。日本には駅伝の文化がありますし、個人競技であっても日本チームで心を1つにして戦う。そんな願いが込められているのかもしれません」
そう語るのは現在、日本陸上競技連盟(日本陸連)のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古氏だ。
「ロス五輪のユニフォームで印象に残っているのは、素材がメッシュだったこと。冬の駅伝やマラソンは、保温効果の高い生地が使われますが、五輪は夏に開催されますからね。(早稲田)大学時代もメッシュを着たことはあったんだけど、汗によって湿って肌にまとわりつくような不快感があった。背中やお腹にユニフォームがべったりつくと、呼吸がすごくしづらい。それがなくなり、汗が地面のほうに流れるような感覚があった。すごいなと思った記憶があります」
他の競技に目を向けると、速乾性の高いウエアが好まれる傾向があるが、マラソン競技の場合、2時間以上も走り続け、道中は給水などで頭から水をかぶることもあるため、基本的にはびしょ濡れの状態となる。ゆえに、撥水性や通気性の方が重要なのだ。
ロス五輪での瀬古はキャップをかぶってスタートし、34km地点で脱ぎ捨てた。ゆえに、14位でゴールした時、キャップは映っていなかった。
「夏のマラソンでは特に、太陽の位置を確認しながら、太陽の方向に帽子のひさしを向けたりしながら走っていました。そして、陽射しが弱くなったら道端に投げ捨てる。現在のように、首の後ろに日よけみたいなものがついた帽子は存在しませんでしたよね」
ミズノ社製だった2004年のアテネ大会、2008年の北京大会をのぞき、日本陸連は基本的にアシックスのユニフォームを採用してきた。シドニー五輪のあたりまでは腹部が隠れたウエアが一般的だが、ミズノ社製を着て金メダルに輝いた野口みずきはへそがあらわになったウエアでアテネのパナシナイコ競技場のゴールテープを切った。
「今の時代はそんなことを思う必要はないんだけど、私の時代は、お腹を見せたら相手に失礼だという感覚があった(笑)。それにお腹が冷えそうな気がするじゃない。そういえば、バルセロナ五輪銀メダリストの森下(広一)君もヘソ出しで走った。彼の場合は、自分でユニフォームを切っていたのかもしれないね」