東京に4回目の緊急事態宣言が発令されるなか、東京五輪は「無観客」で強行開催される。政治家や五輪貴族たちは、国民に根拠なき楽観論を振りまいて開催へ“特攻”していった。そんな彼らの“亡国の発言”をきちんと記録しておく必要があるだろう。
五輪に向けて調整に懸命なアスリートを自分たちの「保身の楯」に使っているのがJOC(日本オリンピック委員会)や組織委員会の首脳たちだ。
山下泰裕・JOC会長は会見(6月28日)で「一部の選手に心ないメッセージが届いている」としたうえで、国民にこう呼びかけた。
「叩くんだったらJOCとその会長の私を叩いて」
五輪開催に対する不安と不満の矛先が何の責任もない選手に向けられていることを批判し、選手を守っているつもりかもしれない。
だが、JOCや組織委員会が国民の不安に正面から向き合い、解消する努力をしてこなかった結果、国民の一部はどうしようもない怒りを選手に訴えるという間違った方向に向けた。そうした事態を招いた責任を棚に上げて「叩くならJOCと私」とは悲劇のヒーロー気取りでしかない。
「選手を楯」に開催を正当化する発想は組織委員会の森喜朗氏の次の発言からもわかる。
「無観客だっていいじゃない。お客さんのために五輪があるわけじゃない」
組織委副会長を務める遠藤利明・元五輪相の政治資金パーティー(7月6日)でそう語り、「やっぱり一生懸命努力してきたアスリート(のためにある)」と続けた。
選手たちはオリンピズムをわかっていない人が組織委の会長をやっていたのかと暗澹とした気持ちになったはずだ。
五輪は、「文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」(JOCのHPより)ことを目的としている。
それを“アスリートのために五輪を開いてやる”と言わんばかりの森氏の発言は、開催の不満が一層選手に向けられかねない。