今や“日本の宝”ではなく、“日米の宝”となった大谷翔平(27才)。7月14日(日本時間)に開催されたメジャーリーグのオールスターゲームでも「1番・投手」として出場した彼は、常に具体的な夢を掲げ、それを実現するために努力を続けてきた。
高校1年生のとき、8球団からドラフト1位指名されるという「夢」を達成するために必要な要素を8つ書き出す「マンダラチャート」を作成したことはよく知られている。『子育てベスト100』の著者で教育ジャーナリストの加藤紀子さんはいう。
「このシートのすごいところは、即座に自分を客観的に見る“メタ認知”ができること。人間は感情の動物で毎日心が揺れ動きますが、このシートを見ればそれに惑わされず自分のなすべきことに立ち戻れる」(加藤さん)
もちろん、卓越した野球の才能も、少年時代からまばゆい光を放っていた。
「1つ教えたら、5つくらいを同時に理解する子でした」
そう振り返るのは、大谷が小5から中1まで所属した水沢リトルリーグの監督で家族ぐるみのつきあいもある佐々木一夫さんだ。監督にとって小学生の大谷少年との出会いは衝撃的なものだった。
「最初の挨拶のとき、翔平くんから『野球を教えてください』と言われたんです。『守備を教えてください』『どう打てばいいですか』と聞く子は多いけど、野球そのものを教えてくださいと言われたのは初めて。小学生でこんなことを言う子がいるのかと衝撃を受けました」(佐々木監督)
ひたむきな姿勢も強く印象に残っている。
「翔平くんは相手チームとどんなに実力の差があっても絶対に手を抜かず、とにかく全力で疲れ切るまでプレーしていました。だから大会や練習試合の帰りのバスでチームメートが盛り上がっているときも、力を出し切った翔平くんだけは寝ていることが多かった。野球に対して、ひたすら貪欲でしたね」(佐々木監督)