いま、ミャンマーでは約半年間で市民約900人が亡くなっている。原因は、新型コロナウイルスではなく自国の軍による弾圧。現地ジャーナリストの北角裕樹さんが取材、そして実体験したミャンマーの現実を伝える。
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こんな深夜に人が来るのはおかしい。大きくなるノックの音に異変を感じながら、意を決してドアを開けると、暗闇の奥で「POLICE」と書かれたステッカーが光った。ライフル銃を持った重武装の警察官ら7、8人がどかどかと部屋に入ってくる。リーダー格の私服姿の軍人は用件も告げず、「しゃべるな、座れ」と短く言い放ち、警察官に指示して家宅捜索を始めた。
ミャンマーではいま、警察は国軍の指揮下にある。獲物を追いつめる狩りをしているつもりなのか、彼らはひどく興奮していた。部屋から軍を批判するビラを見つけると、「これは何だ。読んでみろよ、ほら」と私に顔を近づけ、不気味に笑った。
後に、その軍人は政治犯らを取り締まる諜報部門の将校であるとわかった。これが約1か月の刑務所生活の始まりだった。4月18日夜に逮捕された私は、政治犯収容所として悪名高いインセイン刑務所(ヤンゴン)に連行された。
市民に自動小銃とロケット砲を撃った
私は2014年にミャンマーへ拠点を移し、ジャーナリストとして活動してきた。今年2月1日に国軍が起こしたクーデター以降のミャンマーの状況は、私が見てきた中で最もひどい状況にある。私自身も、この状況下で2度逮捕された。
今回、国軍はアウンサンスーチー国家顧問(76才)らを拘束し、クーデターを起こして、国家運営の全権を握った。昨年の総選挙に不正があったことが理由とされたが、自分たちの選んだリーダーを拘束した国軍に市民らは当然ながら大きく反発。若者たちは街に繰り出し、2月中旬には数百万人規模のデモに発展した。
2月下旬、国軍側が本格的なデモ制圧を始めた。バリケードを築いて抵抗する市民に対し、自動小銃やロケット砲を用い攻撃。夜間に地域を囲んでデモ隊の逃げ道を絶った上で片っ端から家宅捜索を行うという強引な取り締まりも展開された。捜索して目当ての人間がいなければ、代わりに親や娘を連れ去った。
現地メディアは報道免許をはく奪され、次々と記者らが逮捕されていくので、そうした実態は詳しく報じられていない。これまでに約900人が弾圧で死亡し、累計で6500人以上が拘束されたとされる。
旧都ヤンゴンに展開した軍人や警察官の素行は最悪だった。食事を届ける自転車宅配業者は、たびたび軍や警察の「カツアゲ」に遭い、現金やスマホ、そして配達中の弁当が奪われる。私の行きつけの喫茶店も、“デモ隊がよく使っているから”と難癖をつけられ、ケーキの陳列ケースなどが割られ、スタッフが連行された。一般市民も攻撃対象となり、夜間にパトロールする軍人らは、パチンコを使ってアパートの窓ガラスを次々と割って回り、住民を震え上がらせた。