投手と打者の二刀流でメジャーリーグのオールスターゲームに出場──大谷翔平(27才)が、漫画の主人公も顔負けの大活躍を見せている。2018年にメジャーに移籍し、ついに才能が花開いた大谷は、フィギュアスケートの羽生結弦選手、バドミントンの桃田賢斗選手やバスケットボールの渡邊雄太選手らと同い年。1994年生まれのスポーツ選手には、世界を股にかけて活躍する人材がずば抜けて多い。
小児教育の第一人者で、石川教育研究所代表の石川幸夫さんは、その背景にグローバル化があると指摘する。
「1994年に向井千秋さんが日本人女性初の宇宙飛行士になり、1995年に野茂英雄さんが大リーグで活躍しました。狭い日本から飛び出してグローバルに活躍する日本人に感激した親世代が、『わが子を世界で活躍する人材に育てたい』という気持ちを強くしたことが1994年世代の成長を後押ししたともいえます」(石川さん)
少し上の世代の奮闘も発奮材料になったはずだ。 大谷を15才から取材してきたスポーツライターで『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』の著書もある佐々木亨さんはいう。
「大谷選手の3学年上には菊池雄星投手がいました。また、94年世代は、小学生でアテネ五輪、中学生で北京五輪が開催され、自分たちの少し上の世代である、水泳の北島康介選手やレスリングの吉田沙保里選手が連続金メダルをとるのを目にすることができた。そうした先輩アスリートの活躍も刺激になったでしょう」(佐々木さん)
加えて1994年生まれは、ゆとり教育が実質的に始まった2002年に小学2年生を迎える。いわば、“ゆとりど真ん中”の世代でもある。
「勉強をしないから学力が下がると批判されましたが、本来のゆとり教育は、それまでの詰め込みをやめ、心にゆとりをもって生きる力を養うことが大きなテーマでした。他人と協調しながら自分の頭で考え、問題を解決できるような子供が育った例も少なくない。大谷選手は、ゆとり教育の成功例といえるのではないでしょうか」(石川さん)
実際、野球への取り組み方もこの世代特有の「ゆとり」があった。
「子供の頃の大谷選手は四六時中ガツガツと練習したわけではなく、お父さんは『家に帰るとほとんど野球の話はしなかった』と言っています。切り替えやメリハリをハッキリさせていたそうです」(佐々木さん)
大谷以前のメジャーリーガー・イチローは、少年時代に父親と一緒にバッティングセンターに通い詰め、一年のうち5日しか休まなかった逸話が残る。それとは対照的なエピソードだ。