東京五輪の柔道男子66kg級に出場した阿部一二三と、女子52kg級に出場した阿部詩の兄妹は、物心ついた頃から共に抱いていた「五輪で兄姉同日V」の大願を成就させた。柔道王国ニッポンで、兄妹揃って代表に選ばれることさえ難しいのだから、同日金メダルは文句なしの快挙だ。
ここに至るまでの道のりは平坦ではなかった。昨年3月に東京五輪の延期が決まった時点で、妹の詩は代表に内定していたものの、兄・一二三の男子66kg級は全階級のなかで唯一、日本代表が決まっていなかった。一二三と実力が拮抗する2019年世界王者・丸山城志郎がいたからだ。世界王者2人が並び立つこの階級にあっては「金メダルを獲るよりも、日本代表に入るほうが難しい」といわれたほどだ。
そうしたなか、昨年12月13日の“世紀の一戦”とも呼ばれたワンマッチの代表決定戦を制し、一二三は代表の座を勝ち取る。代表争いの激闘があったからこそ、より強くなれた――7月26日に金メダルを獲得した後の会見でも、一二三は「丸山選手の分も背負ってオリンピックを戦った」と明かしている。
そんな一二三のオリンピックでの戦いを、丸山城志郎の父・顕志氏は福岡に建てた自身の道場で見守っていた。1992年バルセロナ五輪65kg級の代表であった顕志氏は、同じオリンピアンとして純粋に阿部兄妹の戦いを応援していた。その思いを聞いた。
──東京五輪における一二三選手の4試合をどう見ましたか。ヒヤリとするような場面は一度もなく、危なげない試合運びでした。
「同じ柔道家として突き抜けた、圧倒的な強さを誇示して金メダルを手にしてほしいと願っていました。内容は完璧でしたね。一本で決まらない試合もあったと思いますが、オリンピックほど勝ちにこだわらなければならず、ある意味、内容はどうだっていいわけです。泥臭く戦っても、優勝すればオリンピックチャンピオンなんですから。決勝で技ありを奪ったあと、制限時間いっぱいまで守りに入りましたよね。でも人間ですからそれで当たり前。純粋にすごいなと思いました」