コロナ禍で1年延期された異例づくしの東京五輪は、直前になって開会式の楽曲を担当していた小山田圭吾氏の辞任と開閉会式の演出を担当していた小林賢太郎氏の解任が相次ぐなどドタバタ続きだった。今回の騒動は「日本版の“キャンセルカルチャー”として、今後に大きな影響を与えそうだ」と語るのは、作家の橘玲氏だ。キャンセルカルチャーとは、有名人などの差別発言や過去の問題行動を洗い出し、ネット上で激しく批判し、存在を「キャンセル(抹消)」しようとする活動のことだ。その背景になにがあるのか。橘氏に話を聞いた。(全2回の前編)
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──東京五輪に関して、過去の発言・表現によって「辞任・解任ドミノ」が相次いだことをどうみていますか?
橘:公的な立場にある人物が過去の言動によって批判され、キャンセル(辞任)を求められる社会現象を「キャンセルカルチャー」といいますが、日本におけるはじめての本格的な事例になると思います。アメリカでは10年以上前から繰り返し起きていて、政治家や芸能人だけでなく、最近では大学の有名教員やIT企業の従業員などがキャンセルを要求されて大きな議論になりました。
キャンセルカルチャーの特徴は、どれほど謝罪しても過去の愚行を蒸し返され、けっして許されないことです。アメリカの有名な事例ですが、米誌『ティーン・ヴォーグ』の編集長に就任予定だった20代の黒人女性が、10年前の学生時代にアジア系に対して差別的なツイートをしていたとして批判され、2019年に謝罪したにもかかわらず、2021年に炎上してキャンセルされています。
ヴォーグもこの事実を把握しており、「差別的ツイートに関しては、2年前にすでに謝罪し責任をとっている」と擁護しましたが、ボイコット運動を恐れた広告主の出稿停止に耐えきれなかったようです。
──その背景には何があるのでしょうか?
橘:これは私の新刊『無理ゲー社会』でも論じていることですが、世界で進行するリベラル化の根底には、「すべてのひとが自分らしく生きられる」社会をつくるべきだという価値観があります。当然のことながら、「わたしが自由に生きる」なら「あなたも自由に生きられる」権利を保証しなければならない。この相互性・普遍性がリベラリズムの基礎で、現代社会では、人種や民族、性別、国籍、身分、性的指向といった自分では変えられない属性による差別はどんな理由があっても許されなくなりました。これが「政治的な正しさpolitical correctness」で、PCとかポリコレと呼ばれます。