今年6月に亡くなった元プロ野球選手の大島康徳さん(享年70)。5年前にステージ4の大腸がんが見つかり、「余命1年」と宣告されたことも、その後の闘病生活も公表して「病とともに生きる」姿をファンに見せ続けてきた。選手としては2000安打を達成して名球会入りを果たし、日本ハムの監督としては森本稀哲や田中賢介らを育てた。「瞬間湯沸かし器」と呼ばれたように、グラウンドでは熱血漢で血気盛んな姿も印象的だったが、がんを患ってからはブログで日々の生活や病に関する考え方を綴って、社会的にも大きな影響を残した。
最晩年には、病についてネットユーザーから心ない言葉が浴びせられる事件が物議をかもし、これは本人の意思とは違う形だったとはいえ、病と生きること、そして病を得た人と生きる社会について大きな課題を投げかける人生となった。
『週刊ポスト』(7月28日発売号)では、昭和の偉人たちの「最期の言葉」を特集している。そのなかで大島さんの妻・奈保美さんがインタビューに答えているが、そこで紹介しきれなかった大島さんの生き様を改めてお届けする。
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主人は闘病生活のなかでも「あれをしてくれ」「これをしてくれ」ということはほとんどなくて、一人で病と向き合っているように見えました。その姿を見て、家族としても最大限にその思いに応えたいと思いましたから、「よく頑張っているね」といった励ましもあえて言わず、最後まで笑顔で見送ってあげることができました。
言葉がなくても、これまでありがとうという気持ちにさせてくれて、すごい人だったと今にして思いますね。病気と向き合ってから4年半以上の時間がありましたが、静かに眠るように旅立っていくことができて、彼の生き方が間違っていなかったことを家族に無言で見せてくれたような気がしています。
主人は現役時代から家では野球の話はしませんでしたし、口数も少なかったですね。私や子供たちがワイワイやっていても、そこには入ってこない。こちらしては、それで楽しいのかなと疑問に思うこともありましたが、家族が楽しそうにしているのを一家の主として見守っている、その時間を一緒に過ごせることが幸せだったようですね。