世界を「不安」や「恐怖」で包んだコロナ禍は、一部で独裁的な政治権力の台頭を許した。自由な民主主義が脅かされるいまこそ、「20世紀の独裁」をあらゆる面から検証する必要があるはずだ。例えば「20世紀の独裁」の代表例、ドイツのヒトラーとイタリアのムッソリーニ。英雄色を好むというが、2人の女性への接し方は極めて対照的だった。『ムッソリーニの正体 ヒトラーが師と仰いだ男』を上梓したばかりの国際政治学者・舛添要一氏は、その著書でこう指摘する。
〈ヒトラーは婦人票を失わないために独身を通し、エヴァ・ブラウン以外には愛した女性はほとんど知られていません。その彼女にしても、親しい仲であることは公には伏せられており、死の直前になって初めて結婚式を挙げています。
一方、ムッソリーニのほうは、何百人もの女性と関係を持ち、結婚していながら数人の愛人を持ち、しかも、それはイタリア国民の多くが知っていました。しかし、それでドゥーチェ(イタリア語で国家指導者、統帥)の人気が下がることはありませんでした〉(舛添要一『ムッソリーニの正体』)
独身を貫いたヒトラーとはまるで違う、奔放な女性関係。ムッソリーニとは一体どんな人物だったのだろうか。
ムッソリーニの父・アレッサンドロの職業は鍛冶屋で、社会主義に傾倒した無神論者であったという。一方、母・ローザは敬虔なカトリック教徒で小学校の先生。ムッソリーニは大酒飲みの父親に似た性格だったが、小学校から成績は良く、寄宿学校などを経て師範学校へと進み、トップの成績で卒業。小学校教諭の資格を得る。
生まれ故郷のドヴィアにある小学校では、母親の代わりに教壇に立つこともあった。そのときの生徒の一人が、後に妻となるラケーレ・グイーディである。その後、正式に小学校教諭の職を得、故郷を離れたが、それからは色恋沙汰が絶えなかったという。
〈1902年2月に、ドヴィアから150km離れたグアルティエーリ市の小学校に採用されます。この町は、イタリアで初めて社会主義者が市政を握った自治体で、これは社会主義者であった父親のコネによるものだと思われます。
しかし、酒と女に溺れ、人妻との恋愛沙汰が町中に知られ、6月に学年が終了すると、7月9日、スイスに向かって旅立ってしまいます。もうすぐ19歳になる頃で、21歳までの2年半にわたって、ムッソリーニはスイスで過ごすことになります〉(同前)
出国した理由には「徴兵逃れ」もあったというが、1904年にイタリアに帰国後、ムッソリーニは1年8か月の兵役に就いた。この間に、母ローザを亡くしている。