テクノロジーがどんなに発達した世の中になろうとも、歴史から学べることは多い。コラムニストの石原壮一郎氏がレポートする。
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国内外から複雑な視線を集めつつ、ひと味違うオリンピックが行なわれています。もちろん、選手のみなさんや現場の関係者のみなさんには、心からの敬意と拍手を送りたいところ。ただ、ピュアな気持ちで観戦を楽しみ、無邪気に声援を送るのは容易ではありません。開幕後も政府や主催者側への批判や疑問の声が、次々と巻き起こっています。
ご存じのとおり57年前の1964(昭和39)年にも、東京でオリンピック・パラリンピックが行われました。当時の日本は敗戦のどん底から奇跡的に立ち直って、高度経済成長の真っただ中。そんな中で開催されたアジア初のオリンピックに、国民は大きな誇りを感じ、全力で声援を送りました。今回とはかなり様相が違います。
しかし、どんなときにも何に対しても「批判の声」を上げたくなるのが、人間のサガでありメディアの業。1964年10月の新聞(朝日新聞、毎日新聞)をめくって「東京オリンピック1964」に対する批判を探してみました。
開催前に投書欄で散見されたのが、聖火リレーに対する疑問の声。「騒ぎすぎる聖火リレー」(朝日新聞1964年10月6日付)と題された投書では、宮城県の医師(52)が聖火リレーの交通規制で1時間半も車が動けず急用に間に合わなかったと書きつつ、「この火のために日本全国が公的・私的に費やす時間と金がもったいなくてならない」「聖火リレーは開催地東京だけですまさるべきものだったように思う」と怒っています。
10日の開会式当日の毎日新聞は、いつもは中面にある社説を1面に持ってきて「オリンピック精神に帰れ」と訴えました。「オリンピックを政治の攻勢から守る」ためのひとつの方法として「表彰式における国旗と国歌をやめてはどうか」と提案しています。「オリンピックがかかえるもう一つの課題は、いよいよ危機にひんしつつあるアマチュアリズムをどう守るか、ということである」とも。政治との関係とアマチュアリズムをめぐる問題は、その後も解消されるどころか、どんどんうやむやにされています。
開会式は、ほぼ絶賛でした。朝日新聞10日付の夕刊には「満場割れよと拍手」といった見出しが躍ります。同紙は同じ日に、開会式を観戦した作曲家の芥川也寸志、画家の生沢朗、映画監督の堀川弘通の座談会を掲載。ブラスバンドの演奏に対して芥川氏が「軍隊調が過剰」と苦言を呈するなどちょっとした批判はありましたが、3人の結論としては「まず上出来の成績」と評しています。