個人では銅メダル、そして、幼なじみの水谷隼(32才)と組んだ混合ダブルスでは念願の金メダル。2度目の五輪となる東京五輪の卓球競技で伊藤美誠(20才)が頂点を極めた。その背景には、2つの二人三脚があった。まずは、母・美乃りさん(45才)との歩みだ。美誠が2才で卓球を始めたのは、元卓球選手である美乃りさんの影響が大きい。
「美乃りさんは、超スパルタで女性版・星一徹ですよ。とにかく美誠ちゃんを卓球漬けにしました。自宅のリビングはほぼ卓球台で埋まっていて、食事のときはダイニングテーブル代わりにしていたくらいです」(伊藤家を知る卓球関係者)
年間1500時間の練習を目標に、美誠は毎日5~8時間はラケットを振り続けていたという。唯一、息抜きができるのはトイレに行くときだけ。
「しかしトイレに行っても、今後の目標や日常生活の標語、卓球関連の記事が壁にびっしりで気が休まらないんですよ(笑い)。ただ、この環境が、いまの美誠ちゃんを育てたのは間違いないです。独創性や強靭なフットワークが育ったのは、自宅特訓の成果でしょう」(前出・伊藤家を知る卓球関係者)
卓球漬けの環境を整え続けたのが母なら、技術の向上を支援し続けたのが、松崎太佑コーチ(37才)。今回の五輪で、美誠の試合を見守ったイケメンコーチだ。出会ったのは美誠が幼稚園の頃だというから、もう15年近くのつきあいになる。
「会社員だった松崎コーチがボランティアで指導するクラブに、美誠さんが通い始めたことが出会いでした。指導を始めたのは、彼女が小学4年生くらいの頃からでしたね」(伊藤家の知人)
しかし、その2年後に転機が訪れる。美誠は格上の選手と戦い、実力を磨こうと、美乃りさんと一緒に大阪へ。そのタイミングで松崎コーチも大阪へ来て美誠の専属コーチにならないかと、美乃りさんがオファーをしたのだ。
「松崎コーチはだいぶ迷ったようですよ。卓球経験者とはいえ、実績はすでに世界大会で結果を出していた美誠さんには及びません。しかし、このオファーをチャンスと思おうと決断し、大阪行きを決めたと聞いています」(前出・伊藤家の知人)
ここから美誠と松崎コーチの二人三脚が始まった。松崎コーチは無給となり、貯金を取り崩す生活に。当時、美誠にはスポンサーが付いていなかったのだ。そうまでして美誠の将来に賭けた松崎コーチに、母と娘は特別な感情を抱いていた。
「美乃りさんは、美誠さんが小学5年生のときに離婚しているんです。大阪へ転居した時期は、離婚直後でもあった。美誠さんにしてみたら、新天地に渡り、父もいないし、地元が同じで兄代わりだった水谷選手とも離れ離れに。松崎コーチの存在は公私にわたって大きかったのでしょう。大阪市内のマンションに3人で一緒に住んでいた時期もあったようです」(前出・伊藤家の知人)
美誠本人はもちろん、母親も松崎コーチも、目指すは世界のトップ、ただそれだけ。同じ目標に向かって突き進む3人が“家族”になるのは自然な流れだったのかもしれない。昨年、五輪の1年延期が決まったときも、松崎コーチは時にわが子に接するように、美誠のモチベーションを保とうとしたという。