映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、亡くなった田村正和さんが、時代劇の大スターだった父・阪東妻三郎さんと自分との役者としての違いについて語った言葉を紹介する。
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田村正和が亡くなった。
決して表で多くを語るタイプの役者ではなかったため、芸談や演技論にしても、各作品の出演エピソードにしても、それらについての「言葉」は、残念ながらほとんど残っていない。
二〇〇三年一月十四日、NHKのBS2(当時)で放送されたドキュメント『駆けよバンツマ』では珍しく役者としてインタビューに答えている。
これは正和の父である時代劇スター・阪東妻三郎を振り返った番組で、長男・高廣、三男・正和、四男・亮という父と同じ道に入った三人に会社経営者の次男・俊磨も勢ぞろい。兄弟が座を囲んで父の思い出を語り合っていた。
この中で正和は決して発言の数は多くないものの、自分と父の役者としての違いを語っている。そこからは、短い言葉ではあるが、正和が俳優としての自分自身をどう捉えているかが垣間見えるものになっていた。
幸い、その番組を録画していたので、その時の正和の発言をいくつか紹介してみたい。
「役者としてのバンツマを意識することはあるか」という質問には、次のように答えている。
「いやいや。全然意識してないですよ。役者としての生き方も僕と親父とは全然違うしね。
それに時代も違いますから芝居の質も変わってきてるし、芸能界自体も変わってきてますからね。親父のことは全く考えてません。あくまでも自分の、芸能界でどういうポジションにいけるのかとか、それから自分の役者としてのスタイルがどういうスタイルなのかとか、自分の芝居がどういう芝居の種類なのか、全部自分で処理して、それを──なんていうか──パフォーマンスして、というかな。そういう形ですからね。親父のことは全くありません」
前回の田中邦衛の時にも言えたことだが、田村正和も実は自分自身の置かれた状況やポテンシャルを冷静に見極めながら、役に臨んでいたことがうかがい知れる発言になっている。