見た目が歴史的遺産として誰からも認識されるか、歴史が大きく動くような技術的革新を伴っていたか、このどちらかだと保存されやすいが、日常の風景に溶け込んで親しまれたものは、なかなか保存への機運が高まらない。何かというと、鉄道車両の話である。運行を終了し解体を待つばかりだった鉄道車両が、長崎出身の福山雅治が話題にしたことで、解体される車両の運命が変わろうとしている様子を、ライターの小川裕夫氏がレポートする。
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長崎県の長崎駅と佐世保駅との間を結んでいたキハ66形・67形が、今年6月30日に運行を終了した。
鉄道に詳しくなければ、長崎県民でもキハ66形・67形と言われてもピンとこない。暗号のような記号は、鉄道車両を識別するために振られている。「キハ」の「キ」は気動車、「ハ」は普通車という意味を表している。
この記号のつけかたは、JR前身である日本国有鉄道が使用していたものが今も引き継がれている。由来から想像できるように、キハ66形・67形も1970年代に筑豊地区のために製造された。
そして、2001年10月以降は長崎本線・大村線・佐世保線を走るシーサイドライナーという列車で使用された。県庁所在地の長崎市と佐世保市を行き来する快速列車ということもあり、長崎県民だったら誰もが乗ったことがある車両だ。引退間際には、地元の新聞やテレビがこぞって同車両を取り上げた。それほど、長年にわたって親しまれていた。
現在の所有者であるJR九州は、引退後のキハ66形・67形の去就について廃車・解体することを表明。名車の誉が高い車両だけに、長崎県民や鉄道ファンからは廃車・解体を惜しむ声が多く聞かれた。そして、博物館や公園などに保存・展示を求める要望が相次ぐ。
「長崎県には長崎歴史文化博物館という県立のミュージアムがあり、そこでは長崎にゆかりのある文化財を多く保存・展示しています。しかし、キハ66・67を引き取るという話は出ていません。JR九州からも打診はありません」と話すのは、長崎県文化観光部文化財課の担当者だ。
長崎県では無理でも、長崎市や佐世保市、大村市、諫早市といった沿線の自治体にも博物館や郷土資料館といったミュージアムがある。また、公園の一画に鉄道車両を展示するケースだってある。そうした形で引き取ることはできないのだろうか?