コロナ禍で夜遊びがまったくできない今の時代では、想像もできないような世界が広がっていたのが1990年代前半。1991年3月頃にバブル経済は弾けてしまうが、その2か月後にオープンしたのが、東京・芝浦のディスコ『ジュリアナ東京』だ。そこには、まだまだバブルの雰囲気が漂っていた。ジュリアナ東京で「お立ち台の女王」として脚光を浴びた「荒木師匠」こと荒木久美子さんに当時の話を聞いた。
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アナウンスの専門学校に通いながらイベントコンパニオン等の仕事をしていたんですが、オーディションの帰りに友人に誘われて行ったのが『ジュリアナ』に通い始めたきっかけ。以来、生活は金・土曜を中心に回っていました。週の前半にその週末に着ていく洋服を決めるんですが、胸元をあえてカットして縫製もしてました。
レディースVIP席にはきれいな子と派手な子しか座れないんですが、そこに座っていると、お店の人を通じて医師や社長から『一緒に飲まない?』と声がかかる。それを『ギャル付け』っていうんですけど、そこでシャンパンやフルーツをご馳走になったりしました。
店が終わると女友達のアッシー君に六本木まで送ってもらって、どこかのお金持ちにお寿司をご馳走になってタクシー代をもらって帰る。お金がかかるのは行きの電車賃ぐらいでした。
あの時代は夢や野望のある人が多くて活気ある世の中でしたけど、今は若い世代がアクティブじゃない。趣味は貯金とか。それよりも、世の中に出て、世の中のことをもっと見たらと思いますね。私は今、婚活塾をやっているんですが、ノンバーバル・コミュニケーション(非言語コミュニケーション)でいかに美女感を醸し出すかってとても大事なことなんです。お立ち台でほかの女性より目立ちたいと、研究してきた経験が礎になって、現在の仕事にも生きていると思っています。
【プロフィール】
荒木久美子さん/タレント。2014年より女性向け婚活塾『東京美女活工房』を主宰。
※女性セブン2021年8月19・26日号