藤井聡太二冠の活躍でブームに沸く将棋界だが、1990年代以降、〈天才棋士〉といえば、前人未到の七冠独占を成し遂げた〈羽生善治〉のことだった。50歳を迎え、研究にAIを駆使する若手にタイトルを奪取されることが続いた。羽生は自身の現在地を、どう捉えているのか。将棋観戦記者の大川慎太郎氏がレポートする。(文中一部敬称略)
ゼロの視点も持ち続ける
長らく将棋界のトップ棋士として孤高の歩みを続けてきた羽生善治。1985年に15歳で中学生棋士としてデビューし、1996年2月には25歳で将棋界に7つあるタイトルをすべて制覇した。
現在、羽生は50歳。
七冠制覇からちょうど倍の年齢となり、羽生自身とそれを取り巻く環境は大きく変わってきている。
2018年に将棋界最高峰のタイトル「竜王」を失い、27年ぶりに無冠に転落した。タイトル通算獲得99期という状態での失冠であり、羽生の肩書がただの「九段」になったことは将棋界にとって大きなエポックだった。年度成績で負け越したことは一度もないとはいえ、羽生の直近5年の勝率は5割台が続いている。そして現在も100期獲得には至っていない。
羽生ほどの大棋士でも年齢には抗えないということなのだろうか。そもそも羽生自身は年を重ねることをどう捉え、どんな対策を講じているのか。さらに老齢に差し掛かるこれからをどう生きようとしているのか。将棋界の第一人者に「50代のリアル」について尋ねた。
将棋は頭脳を駆使する勝負事だ。肉体を酷使するスポーツ選手より現役期間は長いが、年齢を重ねると思うようにいかない部分が増えてくるという。どんなところが大変なのだろう。
決して答えやすいテーマではないだろうが、羽生は爽やかな笑顔を見せ、「あー」と前置きしてから、話を始めた。穏やかで淡々とした口調は取材中、一貫していた。
「経験を積むと先入観や思い込み、または常識に囚われることがどうしても増えてきて、思考の幅が狭くなってしまいます。ただそれらはいい面もあります。例えば『この手はダメそうだからこれ以上考えるのは止めよう』といった見切りの精度は経験によって向上します。一つの局面を見た時に、実体験から見えてくる視点と、真新しいゼロの視点で併せて見ることが大事だと思っています」
具体的にはどうすればいいのだろう。無意識下での判断なので、簡単ではなさそうだが。
「意図的にやる必要があるでしょうね。思考のプロセスの最後に、これでいいのか確認する作業がありますよね。その時に、先入観を持っていないか、まっさらな状態だとどう見えるのかを考え直すようにしています」