昭和の銀幕スターとして輝き、豪放磊落な私生活で“夜の帝王”と浮名を流した俳優の梅宮辰夫氏。1974年に睾丸がんを患い、以降、2018年に前立腺がん、2019年に尿管がんなど6度のがんの手術を受けては復活してきたが、2019年12月12日、慢性腎不全のため死去。81歳だった。娘・梅宮アンナが、父が遺した「言葉」を振り返る。
* * *
パパは「長生きって問題だな」とずっと言っていました。(2019年1月に)腎臓を摘出する手術を受ける時に、私の腎臓をあげることでパパが楽になるならそうしてあげたいと医師に申し出ましたが、「せっかくあげてもまたがんになるかもしれないから、お子さんのために残してあげてください」と言われて思い留まってしまいました。それを今でも後悔しています。
パパは亡くなるまで10か月ほど人工透析をしていたのですが、本当に大変だった。買い物も掃除も料理も全部自分でやる人だったから、それができなくなって心が破壊されたような状態になってしまって、ケアする家族の負担も大きかった。
誰に対しても「いいよ~」と度量が大きかったのに、何をやっても怒鳴るようになって、性格や言葉まで変わっていく姿を見るのが辛かった。
最後に言葉を交わしたのは、亡くなる1か月ほど前。様子を見に行くと「何しにきた!」って不機嫌に……。自分の最期ぐらい、自分で決めたかったと思うんです。パパはいつも「これ以上はいい。透析もやらなきゃよかった」と話していました。
「病気してまで生きたくない」
それが私が聞いた最期の言葉でした。
亡くなった日、パパが救急車で運ばれた病院で蘇生措置している時に私は東京から駆けつけました。医師が「骨が折れていますが、続けますか」と聞いてきたので、「もういいです」とやめてもらいました。
私たち家族にとって、パパはスーパーマンでした。ママ(クラウディアさん)はお姫様のような人で、パパはいつも「何もしなくていいから」と許していましたし、私も子供の頃から勉強しろなんて言われたこともなくすごく自由に育ちました。
いつもママと喧嘩する度にパパが言っていたのは「三つ指ついておかえりなさいって言ってくれる女はいっぱいいる」。でも、ホントはパパはそういう女性は嫌でしょって思ってた(笑)。何もしない女性のほうが良かったんだろうなって。