たとえば1964年の10月10日の開会式でブルーインパルスによるアクロバット飛行で青空にスモークで見事な五色の輪が描かれる場面は有名だが、当時、カラー放送は限られたもので、大河ドラマもモノクロの時代だった。民放は独自の「開会式関連番組」を放送。
日本テレビのゲストはイーデス・ハンソン、岡田茉莉子、中村メイコ、フジテレビは木下恵介、NET(のちのテレビ朝日)は、『いだてん』の主人公金栗四三、兵藤秀子(旧姓・前畑)、TBSはのちに都知事となって「2016東京オリンピック構想」を提唱する石原慎太郎が出演していた。
また五輪史上初めてマラソンの全行程の中継に成功したのは、1964年東京大会だった。ただし、選手に伴走したテレビ中継車はただ一台! そのため、中継車は途中からトップ独走を始めたローマ五輪金メダルのアベベを映し続け、後方の路上で繰り広げられた多数の選手たちの攻防はほとんど映らず。日本中が沸いた円谷幸吉選手とイギリスのヒートリー選手とのデッドヒートをとらえたのは、国立競技場のカメラだった。
そして閉会式。2020大会の閉会式では各国の選手がわいわいと入場してきた。この自由な雰囲気は、1956年のメルボルン大会から始まり、1964年の東京大会で定着したと言われるが、実は当時のスタッフは閉会式も開会式のように国別に整列して入場してくると予定していたようだ。国も地域も関係なく笑顔でにぎやかに歩く選手たちを見ながら、土門正夫アナウンサーは、「そこには国境を超え、宗教を超えた美しい姿があります。このような美しい姿を見たことがありません」とアドリブ名実況したのだ。
2020大会の閉会式の『オリンピック・マーチ』は、1964年大会に奮闘した人たちへの気持ちがやっと表現された瞬間だった気がする。ずっと先の未来に「第三回」の東京大会があったら、2020大会のどんなところが思い出されるのか。まだ想像できない。