感染防止のためにできるだけ家で過ごし、大きな声で騒ぐこともできずに鬱屈としがちな今の時代。約30年前の1990年代初頭はバブル経済の恩恵を受けて、世の中が明るく騒がしかった──。当時、トレンディードラマで大人気だった俳優の石田純一と、20代半ばでバブル期を体験、今年6月にエッセイ『バブル、盆に返らず』を出版した作家の甘糟りり子さん。出演者とスタッフとして情報番組『東京遊民』(1995年、日本テレビ)で、いっしょに仕事をしたこともあるふたりが、1990年前後の世の中を振り返る。
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──まずはファッションの話題から。1970年代後半から1980年代半ばにかけて、ハマトラやニュートラ、サーファーファッションが流行。その後、注目されたのは、ヨーロッパのブランドだ。
甘糟:表参道や飯倉にあったアルファ・キュービックのブティックによく行ってました。オリジナルのアルファ・キュービック以外にも、イヴ・サンローランやレノマ、プラダ、アライアといった輸入ブランドがたくさんあって、目移りばかりしてました。サーファーやニュートラ、ハマトラなど、制服的なスタイルが下火になり、やっとファッションが成熟してきた時期だと思います。
1990年というと、分厚い肩パッドのボディコンシャスが主流でした。私はディスコに行くときは、背中が開いたジュンコシマダのワンピースを着たりして。“ケバい”という形容も褒め言葉に使われていた記憶があります。色っぽい、くらいの意味合いで(笑い)。
石田:ぼくは昔からお嬢様系が好きなんですが、あの頃の「ケバい」はOK。アルファ・キュービックを着こなす女性は魅力的でした。
甘糟:香水も強いものがはやりましたよね。1986年日本発売のクリスチャン・ディオール『プワゾン』が大ブームで、1990年になってもつけていた人は多かった。濃厚な香りが時代の気分を象徴していたのかな。
石田:ぼくはサンローランの『リヴゴーシュ』が好きでしたね。誰かがつけていたんだよなぁ……。うん、そうそう、この子はこの香り、あの子はあの子で別の香り、というのがあって、香りで自分を印象づけている子が多かったように思いますね。