芸能史に偉大な功績を残したカリスマがこの世を去った。ジャニーズ事務所の名誉会長、藤島メリー泰子さん(享年93)が8月14日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。ベテラン芸能記者が明かす。
「驚きました。高齢ですが、まだまだお元気だと聞いていましたので。去年の秋ぐらいに足を骨折され、それからずっと入院されていたようです。この6月頃に転院したときも“命に別条はない”と聞いていたのですが……。面会したがっていたタレントは多いと思いますが、コロナ禍で思うようにいかなかった。それが非常に残念です」
ジャニーズ事務所の創業者といえば、2年前に亡くなったジャニー喜多川さん(享年87)だが、メリーさんは彼の4才上の姉で、共にジャニーズの礎を築いた“共同経営者”である。姉弟は米ロサンゼルスで生まれた日系2世。布教のためにアメリカへ移住した真言宗米国別院の僧侶を父に持ち、その後、日本に渡って大阪で暮らした。
「メリーさんは再び渡米し、再帰国した際に東京でバーを経営されていました。これが彼女の経営者としての始まりだったといわれています」(前出・芸能記者)
1962年にジャニーさんがジャニーズ事務所を創業。メリーさんはバーを閉店し、事務所の経営に携わることになった。ここから姉弟の二人三脚経営が始まる。ジャニーズにおいて、人材発掘やプロデュースを手がけるのが社長のジャニーさんで、経営面を取り仕切るのが副社長のメリーさんだった(肩書はいずれも当時)。
「タレントのしつけ、会社経営など管理面での実務担当がメリーさんでしたが、いま思えば、これは彼女にとって天職ともいえるものでした。芸能事務所においてタレントの管理は大きな難題。これまで名だたるアイドルが誕生していますが、彼らが息の長い活躍ができるのは、メリーさんのマネジメント能力の賜物です。信頼できる姉がいたからこそ、ジャニーさんもプロデュースに最大限の力を注げた。最高のタッグです」(当時を知る芸能関係者)