1969年に創刊された『週刊ポスト』。当初からの名物コーナーだったのが「衝撃の告白」。銀幕のスターや渦中の人物が赤裸々に語る証言はまさに“衝撃”の連続だった。1971年8月13日号で、名優・鶴田浩二が語ったのは人気女優との恋愛。当時の時代背景を考慮しつつ、鶴田の証言を振り返る。
「人間、長い人生のうちには、ときとして女房よりもすばらしいと思う女性にでっくわすことはありますよ」
20歳の時、海軍少尉として終戦を迎えた鶴田浩二は1948年に松竹入り。翌年『フランチェスカの鐘』で主演に抜擢され、スターに成長していく。1952年に新生プロを興してヒット作を飛ばすも、1953年には襲撃事件に遭う。波瀾万丈な男は東宝、東映と渡り歩き、歌手として『傷だらけの人生』がヒットしていた頃、自らの半生を振り返った。
「二十年も前のことだけど、かつて彼女を愛したという記憶をふりすてることはできないな」
鶴田は1951年6月公開の『獣の宿』で初共演した岸惠子の残像を消せなかった。
「オレにはすでに将来を約束した女性がいた。中尾照子という松竹の新人女優、そう、いまの女房ですよ」
1950年に『エデンの海』で照子と出会った鶴田は結婚を約束。彼女は女優を辞め、実家に帰って正式なプロポーズを待った。その頃、絢爛豪華な岸が現われたのだ。
「会社からはオレと岸くんとの間にいろんな妨害の手ものびましたよ」
松竹が売り出し中の俳優を結ばせるわけもない。鶴田は正直な心情を吐き出す。
「当時のオレは、はっきりいって照子より岸くんのほうをより愛していたのかもしれない。が、結局は岸くんとは結ばれなかった。別れたんです。これは、映画会社のもろもろの工作というよりは、オレ自身の心の結着でしたよ」
岸は松竹所属ながら、独立した鶴田の『弥太郎笠』『ハワイの夜』に出演し、波紋を呼んだ。彼女は後年、鶴田との関係を回顧している。
「清らかにお付き合いが始まり、清らかに終わったという感じです。私が新橋の店であつらえた純金のネックレスをおそろいで付けていたんですが、ある日、私が知らなかった事情を知らされ、もうお別れしようと心に決めました。自分で身を引いたんです。最後は橋の上から泣きながら、純金のネックレスを川に投げ捨てたんですよ」(2021年6月4日・日本経済新聞電子版)