映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優の永島敏行に、岡本喜八、松林宗恵、根岸吉太郎、池田敏春など名匠たちに出会い、映画づくりに加わった思い出について語った言葉を紹介する。
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若い頃から永島敏行は軍人や自衛官の役が多く、デビューして数年で『皇帝のいない八月』(七八年)、『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』(七九年)、『動乱』(八〇年)、『二百三高地』(八〇年)、『連合艦隊』(八一年)と、次々に出演してきた。
「当時は郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さんみたいな髪の毛の長いアイドルが芸能界に出る時代だったので、僕みたいな坊主頭でゴツイ奴は珍しかったんです。それで戦争映画の軍人役が来たのでしょう。ですから、デビューしてからもずっと坊主であまり髪の毛を伸ばしたことはありませんでした。
あまりに軍人役ばかりやっていたので『軍人役者』と書かれたりもして、そのイメージがつくのも──と思っていましたが、そんな贅沢言っていられません。
それよりも、岡本喜八監督や松林宗恵監督といった素晴らしい監督と仕事ができるだけで嬉しかったですし、何より現場にいることが楽しかったんです。みんなで物を作るという。こんな楽しい世界にいていいのかよ──と思っていましたね」
八一年、根岸吉太郎監督の映画『遠雷』では都市化してゆく宇都宮を舞台に、時流に抗う農家の青年役を演じてブルーリボン賞主演男優賞を受賞した。
「戦争映画のイメージを変えたい時だったんです。
そんな時に原作を読んで。都市化される宇都宮、つまり東京近郊の話ですから、僕の育った千葉とよく似ている。子供の頃は東京湾もキレイで、潮干狩りに行ったらアサリが湧いてくるんです。それが工業地帯に変わって、子供の頃に遊んだ場所はなくなりました。
ですから、当時の自分の気持ちにフィットしたんですね。初めて自分から『この映画に出たい!』と思いました。いろいろPRしながら、なんとかして出たいなと努力しましたね。
テーマも自分の中に気持ちとして落とし込めているので、これで自分が変えられたなという想いは凄くありました」