すし詰めになって米軍の軍用機の床に座るアフガニスタン人の集団。“タリバン”という危険そうな響き。何か大変なことが起こっているけれど、なぜなのかがわからない──そんな人が必読の、戦争カメラマンでジャーナリストの横田徹さんの緊急レポート。
* * *
電光石火の首都掌握によって、アフガニスタンの風景が一変した。
銀行や商店が軒並みシャッターを下ろして街がゴーストタウンになる一方で、パニックになった民衆が国外に逃亡しようと空港に押し寄せる。
その空港の滑走路では、いままさに飛び立たんとする米軍の輸送機に無数の人々がしがみつき、そのまま空高く舞い上がった機体から振り落とされて命を落とす──。
テレビで流れるアフガンの惨状に、「これは本当に現実なのか」「いったい何が起きているのか」と驚く日本人は多いはずだ。
だがアフガン取材をライフワークとして、現地に何度も足を運んだ私としては「やはりこうなったか……」との思いを抱かざるを得ない。
未曽有の大混乱が生じたきっかけは、アフガンの反政府勢力「タリバン」が政府軍を攻略し、首都・カブールを制圧したことだ。
これまでアフガンには米軍が駐留していたが、米政府とタリバンが和平合意を結び、今年6月から米軍が撤退を始めた。その間隙を縫ってタリバンは主要都市を次々と制圧し、8月15日にはついにカブールを支配下に置いた。
現地にいる知人のカメラマンはこう証言する。
「タリバンがカブールに入ってから3日ほどは、すべての銀行とほとんどの商店が閉鎖され、タリバンを恐れる人々が空港に押しかけ、道路は国から逃げる車で大渋滞となった。その後、少しずつ人が街に出るようになっています」
どうして人々が競って祖国からの脱出をめざしたのか、タリバンの何に恐れているのか、それらを知るには、アフガンの歴史を振り返る必要がある。
1979年から1989年までアフガンに侵攻していたソ連軍の撤退後、この国は内戦状態に陥り、3万人以上の国民が殺されて約50万人が難民となった。戦国時代ともいえる。治安の悪化は極限に達し、各地域に根ざした軍閥の民兵が国民の財産を収奪して、少年少女を拉致・強姦していた。
そこに“救世主”として現れたのが、アフガン南部出身の宗教指導者であるムッラー・ムハンマド・オマルだ。彼が率いる武装集団は祖国を軍閥から取り戻すべく戦闘を重ねて、国土の大半を掌握した。この集団こそ、のちに「タリバン(神学生たち)」と呼ばれるようになる一群だった。
1996年に政権を握ったタリバンはイスラム法と、アフガンにおける最大民族であるパシュトゥーン人の掟を混合して、独自の規律の下で、厳しく国を統治した。
殺人や不貞の罪を犯すと公開処刑され、窃盗をすると手首を切断された。男性はヒゲを伸ばして西洋的な服装を避けることを強要され、テレビや音楽、映画やインターネットなどの娯楽は全面的に禁止。
国際社会がとりわけ注目したのが女性の人権だ。